わたしの楊名時太極拳の先生

 わたしの楊名時太極拳の先生は女性である。しかも70過ぎである。そういうわたしも70一歩手前のジジイである。少し前の時代であれば、二人とも片足どころか両足ともどっぷりと棺桶に入っている年齢である。

 それがどういうことであろうか、わたしの先生はわたしよりも心も身体も若いのである。実に生き生きとして元気で、主婦に仕事に趣味事、ボランティア活動と時間が足りないような生きざまを見せつけられているのである。 

 また身体の若さで怒れることは24式である。先生はゆっくりとおおらかに柔らかく、そして大きく羽ばたかれる。先生よりも若くしかも男であるわたくしの24式は、とても鶴の舞などと呼べるものではなくよろめく老犬のごとしである。

 時には早く、時には遅く、ヨタヨタとテンポが定まらず、また右蹬脚や転身左蹬脚では、周りはわたくしよりズットズット年上の女性ばかりで若い女性は一人も居ないにもかかわらずよろめくのである。決してときめいてなどいないのによろめくのである。この時ばかりは、せめて香り立つような方が隣で舞っていたらそれこそ何度でもよろめきたいと妄想を抱くのである。修練の差であることは分かっている。老犬の叫びである。

 ある時、先生がポッと語られた「以前は引っ込み思案で人前で話すことなどとても出来なかったし、腰痛がひどくていつも腰をかばって暮らしてきたの。

だけど楊名時師に出会い、太極拳をやるようになってから私の人生、変わったの」と。

 先生はことある度に楊名時師のことを語られる。呼吸法、気、太極拳の形、技法にとどまらず、哲学、生い立ちにまで及ぶ。楊名時師のことを語られる時の先生は、目の輝きが変わる。言葉の張りが変わる。その心酔ぶりにはいささか嫉妬すら覚えるくらいである。

 こういう先生であるから、敦盛の一節「一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」で、お迎えが来ても、「ハ、ハ、ハ、ハ、涙もあった笑もあった、生きた生きた」と往かれるか、あるいは「楊名時師に会える」といそいそと往かれるのかもしれない、などと思いを巡らしているのである。

 その時までは、先生の後について、先生を見つめながらともに舞い続けたいと密かに思っているのである。

(愛知県大口町・外坪教室 嶋生雅春 記)

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