(57)楊名時先生と空手

私は、楊名時先生の太極拳を「中国生まれの日本育ち」と言っております。なぜならば、楊先生の太極拳は中国の太極拳と違い、禅と日本の武術(空手)を融合させた太極拳だからです。

 楊名時先生中国・山西省の古い武門の家柄に生まれ、3歳頃父親から太極拳の手ほどきを受けたそうですが、太原の小学校・中学校の国術部で太極拳の他に拳法、太刀、槍、棒術、手裏剣など中国武術を習得しました。私は、一度楊先生の手裏剣を見たことがあります。

 1934年、楊先生は山西省の留学生として来日。京都大学卒業後も日本に留まり、東京中華学校の校長、大東文化大学の教鞭をとりながら太極拳の指導・普及に努められました。

1950年前後、空手に精神のよりどころを求めて空手を習い始めました。

その道場が日本空手協会四谷道場で、主席師範の中山正敏先生(9段)が指導に当たられていました。その中山先生の愛弟子の金澤弘和先生も指導にこられたことが縁で、金沢先生とは長い親交が生まれました。楊先生は日本空手協会の師範で7段を取得していますが、そこまで空手に熱中したのは、中山先生や金澤先生の人間的魅力に引かれたからだそうです。

金澤先生は、剛の空手には太極拳の柔が必要と考え、楊先生が太極拳を指導していた武道館に入門しました。金澤先生の空手家としての活躍の場が外国でしたが帰国した時は、必ず新宿の朝日カルチャー教室に楊先生を訪ねてこられました。金澤先生は現在、國際松濤館空手道連盟宗家・最高師範で、88歳です。

日本空手協会の他に、有名な流派に剛柔流があります。この流派の大塚忠彦先生も金澤先生と同じように、楊先生の武道館時代に入門しました。特に大塚先生の場合は自宅(中央区・新富町)の1階が立派な道場でしたので、楊先生はそこで太極拳の指導をされていました。稽古が終わると大塚先生のお母様手作りの美味しいおでんを頂くのも、楽しみであったようです。私も2、3回お伺いしたことがあります。

 また、大塚先生は中央区の区議会議員を8期32年務められ、東京都武術太極拳連盟理事長としても尽力された方です。大塚先生は7年前に亡くなられましたが、「楊名時先生を偲ぶ太極拳交流大会」では長い間お世話をして下さいました。感謝でいっぱいです。

楊先生の太極拳は、紹介した3人の先生方だけでなく、多くの空手の武道家との親交で結ばれた絆が基となって、編み出された太極拳であると思います。

楊 麻紗記