昭和35年頃、楊名時先生が日本武道館で太極拳を指導されておられたときのことです。
「今は太極拳が認められなくても、あと十年もすれば人々が疲れて安らぎや癒しを求めるようになる、必ずなる。それまで焦らずゆっくりと太極拳の種を蒔きましょう。種を蒔かなければ、芽は出ないのですから」と、よくお話をされました。
楊名時先生は、自ら太極拳の宣伝をすることはありませんでした。どうして宣伝をしないのか、お聞きしました。その時、「自分で売り込むと相手より低くなる。相手が頼みに来るまで待ちましょう」と答えられました。その言葉どおりに、40年頃にはマスコミが太極拳を取り上げるようになりました。楊名時先生の辛抱強さと中国人の誇りを、私は強く感じたものです。
また、昭和46年に『太極拳』の本が出版されたときのことです。著者である楊名時先生が銀座の大きな本屋に行き、店主に
「タイキョクケンの本ありますか」と尋ねると、
「タイキョクケン?知らないね。南極圏、北極圏なら知っているが」と。その時の楊名時先生の答えが奮っていました。
「南極圏、北極圏よりももっと広い宇宙の涯のことだよ」
店主はその意味が分からず、ポカンとしていたそうです。店主は太極拳の拳と圏とを間違えたのですが、この笑い話は当時いかに太極拳が知られていなっかたかを示すエピソードとして、強く印象に残っています。
楊麻紗