(50)卓球

8月5日~21日までブラジル・リオデジャネイロで開かれた第31回オリンピックでは、日本選手は史上最多の41個のメダルを獲得し、日本中を沸せました。

それから20日余り経ちパラリンピックが始まっていますが、まだオリンピックの感動の余韻が残っています。

 数ある種目の中で私が応援したのは男子体操、柔道、卓球、バトミントンでしたが、中でも卓球男子団体戦に一番応援を送り、準決勝のドイツ戦に勝ち41年ぶりのメダルが決まった時には、思わず歓喜の声を上げ、拍手とガッツポーズをしてしまいました。エースの水谷隼選手、良く頑張りました。そして、私は楊名時先生と元卓球選手の荘則東を思い出しながら、男子団体戦を観戦したのです。 

 楊名時先生はとても卓球が上手いのです。京都大学の学生時代に、関西の学生対抗試合のシングルスで上位に入ったと聞きました。楊名時先生はカットを中心とした速攻が得意で、遊びで私とやった時、私はまったく歯が立ちませんでした。

また、 世界卓球選手権のシングルスで、1961年から1965年まで3連覇を果たした荘則東は、中国卓球界の名将であり中米ピンポン外交の功労者でもありました。この頃、私は中国語と太極拳を楊名時先生に教わっており、中国語の教室で楊名時先生は「ピンポンは軽いが友好は重い」、「友好第一試合第二」のフレーズを教材として取り入れ、私たちに紹介しました。日中との国交がまだ回復していない時代でしたが、楊名時先生も私も荘則東のフアンでした。

荘則東は文化大革命で投獄され政治の荒波に揉まれましたが、鄧小平のはからいで日本の佐々木敦子さんと再婚を果たし、2013年2月10日73歳で亡くなり、楊名時先生も2005年に80歳で亡くなっています。

 楊名時先生と荘則東は、手足の長い容姿と柔らかい雰囲気が驚くほど似ており、相手との長いラリーからの鋭いスマッシュが、水谷選手とも通じるように思いました。その意味で、今回の男子卓球のテレビ観戦は特に印象深いものがありました。

楊 麻紗

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