(8)和して同ぜず

 楊名時先生は昭和48年の冬に、日本武道館を去られました。日本の武道の殿堂に、他国の、しかも健康法がうたい文句の太極拳を指導する楊名時先生を、快く思わない先生方がおられたからです。しかし、これが去られた直接の原因ではありませんでした。手塩にかけて育ててきた某弟子から、心ない暴言を吐かれたために楊名時先生は武道館を去る決心をされたのです。

 その暴言とは、

 「私たちが学ばなければならないのは、中国政府の制定した太極拳で楊先生の太極拳はそれと違う。本当の太極拳ではない」と。

暴言が稽古の後に吐かれたのならまだしも、皆のいる稽古中にその暴言は吐かれました。その時の楊名時先生の心中を思うと、今でも居たたまれない気持ちになります。

 ところが、楊名時先生はやはり大人です。心ない弟子の暴言に対して、顔色ひとつ変えず「和して同ぜず」という言葉を残し、日本武道館を去られたのでした。

    和して同ぜず

  『論語』の子路第十三に出てくる言葉。「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」。

 意味は、徳のある人は主体性を持って人と調和するが、訳もなく同調するようなことはしない。教養がなく、心が正しくない人はその逆である。

楊麻紗

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