楊名時太極拳は1960年(昭和35年)に、楊名時氏により創始され、以来日本各地で沢山の愛好者の輪が広がり、現在に至っています。楊名時氏は中国山西省の武門の家に生まれ、幼少より太極拳や他の中国武術の英才教育を受け、18歳の時官費留学生として来日しました。専攻は政治学。卒業後は日本に留まり、大学で教鞭も執りました。
太極拳は中国武術を源としていますが、楊名時氏は日本で太極拳を指導、普及するに当たり、健康法・養生法として改良を重ね、楊名時独自の太極拳を完成させました。その特徴は中国の哲学と日本で身につけた武道の技と精神、更には禅の心を融合させたところにあり、人と競うことを戒め、共栄共存を尊ぶものでした。
また、楊名時太極拳は人間の存在を動き、心、呼吸の調和に求める人間教育であり、そこから表現された太極拳を芸術と捉えています。そして楊名時氏が太極拳の実践において力説され、最も大切にされたのは「心」でした。「心は人間存在すべてである」と常に話されていました。その訓えのいくつかを挙げてみましょう。
流水不腐 流水不争先
流水は腐らない。流れる水が先を争わない。運動の大切さを説いた言葉です。健康になるためには気血の流れをよくしなければならない、ということです。また「流水先を争わず」は不争の徳を述べた哲学で、太極拳も決して人と争ってはいけない、という戒めです。太極拳の目的は心と体の調和を求めるものだからです。
太極拳は動く禅である
太極拳は精神を統一し、心と動きと呼吸の三位一体を目指します。その動きは平穏な心の中から生まれるところから動く禅とも言われています。従って室内で稽古する場合、原則として裸足です。
功夫不騙人
稽古したものは人を裏切らないの意。どんなに能力があっても、稽古の年数には及びません。
白鶴の舞
楊名時太極拳を別名「白鶴の舞」と言います。鶴は亀とともに長寿のシンボル。そして飛翔する姿は高貴で美しい。楊名時氏は太極拳に芸術性を求めたものです。
動きが三分で心が七分
太極拳の稽古は、内面(呼吸、心)と外面(動き,型)を一致させて行いますが、その配分は動きが三分で、心が七分。見える型のみの稽古は片手落ちで、見えない内面の稽古こそ肝要。
仲間を癒し仲間に癒される
太極拳を稽古しますと心身がほぐれ、気分が爽快になります。競争のない世界から生まれた穏やかな気が仲間と通い合い、お互いを癒すのです。よい気はよい気を呼ぶのです。
よいものを少なく、続ける心こそが大切
楊名時太極拳の柱は「簡化太極拳24式」と「八段錦」の二つです。これを時間をかけて深めることです。あれこれと沢山のものをするのではなく、自分に合ったよいものを生涯続けることが大切です。