太極拳の師範レポートを拝見していると、何人かの方が太極拳を「稽古」すると書かないで、「練習」すると書いている。その言葉に、私は少し違和感を覚え、ホームページや会報などでは「稽古」と書き改めている。しかし、太極拳ではどちらを使った方が良いのか?私だけの拘りなのか?と時々迷うことがある。
そんな些細な疑問に答えが見つかった。それは村松友視の近著『老人流』。この本によれば、稽古には愚直に同じことを繰り返すことの価値というメージがあるが、辞書によると、「稽古」とは「書物を読んで昔の事を考え、物の道理を学ぶこと」を含む言葉であるらしく、体で体感し続け頭で考え、学ぶ・・・というのである。
そして、この稽古という言葉からは和のイメージが強く伝わるとも。相撲、柔道、空手、日本舞踊、琴、鼓、三味線、落語といった世界に、きわめてフィットする言葉であると。これに対して「練習」という言葉は、テニス、ラグビー、サッカー、ピアノ、バイオリンなどの洋に馴染む、と説いている。
なるほど、と私は納得した。因みに、太極拳に於いて中国ではどういう言葉を使っているかを調べてみると、多くは「練習」であった。中国語でいう「稽古」には、日本語にある「武術、遊芸などを習うこと」の意味は含まれていない。
日本の文化・武道を大変好まれ、空手の高段者であった楊名時先生は、いつも「太極拳を稽古する」と仰られていた。これらのことを考え合わせると、楊名時太極拳の場合は、「練習」ではなく「稽古」と書くのが相応しい。
楊 麻紗記
2020/2/9
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