
2026年3月29日、奈良唐招提寺で、楊家養心太極拳奉納演舞が行なわれ、地元奈良の有志がお手伝いさせていただきました。
演舞会場は講堂と金堂(いずれも国宝建造物)にはさまれた広場です。向かい合った講堂の「弥勒如来坐像」は長期間修理のため不在だったのですが、今春お帰りになり、会場では多数のお参りの方と込み合いになりました。楊麻紗先生はじめ、諸先生がたのご指導と、さらに私達にとっては何年かぶりの晴天で一糸乱れぬ、しかも「気」の濃い演舞が奉納できました。




唐招提寺と鑑真和上については、奈良仏教興隆主役の一人、聖武天皇も協力者となります。
天皇は23才の即位(724年)後すぐに、唐を再び強大(開元の治)にした玄宗皇帝に遣唐使の再開を求めました。皇帝は日本の過去に詳しく、律令・寺社建築の高度化など、長安(唐の首都・現在の西安)を模した奈良平城京を国家目的として、作り上げた実力を評価し、朝鮮半島に入った新羅(しらぎ)(中国・朝鮮族ではない)への「近攻・遠交策」の同盟国として、好意的に接してくれました。
その結果、西側から入ってきた採鉱・精錬が優先的に利用できるし、中国から日本に移住する技術・技能者が増えてきたと云います。

ほかに日本各国(大和・山代など)に国分寺・国分尼寺を作りました(741年発願)。
同じ頃、僧侶集団と僧侶個人のために、それぞれが同一戒律を持てるよう、中国律宗の最高実力者である、楊州(江蘇州の都市)大明寺の鑑真和上に人選を依頼しましたが、鑑真自身が新しい土地での普及使命感に燃え、渡航に挑みました。さらに、海難・裏切り・途中での失明にもめげることなく、14年後に入奈され、奈良大仏開眼2年後(754年)に聖武天皇はじめ主要重臣達に律宗の戒律を授けたと言います。
なお私たちの楊名時太極拳の創始者楊名時先生は、毎年春、唐招提寺の御廟にお参りになったそうです。

川端 教男記


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