6月11日、「楊名時先生を偲ぶ太極拳交流大会」が、中央区・京橋プラザ区民館で開かれました。この日は梅雨時に最上の好天を賜わり、鹿児島、愛知、新潟、宮城、岩手の遠方と東京近郊の仲間130人が集まり、楊名時先生の遺徳をお偲びして感謝の誠を捧げました。
大会は楊名時先生への1分間の黙祷から始まりました。その後の楊麻紗先生は、参加者への感謝の言葉と「楊先生が亡くなられて、7月3日で満11年になります。来年は13回忌になりますので皆様のご協力をお願いしたい」と、述べられました。
総会では木村鎮夫師範が進行役を務め、無事了解されました。
次ぎに行われた全員による太極拳は、ゆったりと流れる大河のようであり、その中に楊名時先生を追慕する思いが込められ、静かで厳かな演舞でした。
演舞の後は、ゲストとしてお迎えしている帯津良一先生の登場です。帯津先生はピンクのワイシャツに赤いネクタイを締めた粋な服装で、80歳とは思えない若若しさでした。笑みを浮かべユーモアたっぷりに話されたご講話は、
「先日、東大の同級会に出席した時、90名いた同級生のうち出席者は26名であったこと。出席者の中には病気を患っている人や背がちじんでしまった人もいたが、帯津先生はお元気で、今でも酒と色気は衰えていないとのこと。
そして、若さや色気を保つには、人との「ハグ」が一番良いそうです。なぜならばハグをすると前頭葉からセロトニンがでて、思いやりや共感力が高められ、癒し効果が高まるためです。帯津先生は入院患者に、このハグを行うそうです。
また、18年間務めた日本ホリスティック医学協会の会長を辞めましたが、在任中政治的な貢献は何もしていない。しかし、230冊の本を出版し講演も年間100回は行ったそうです。そのため、付いたアダナは「月刊帯津」で、宣伝の効果はあったと自負しているとのこと。
さらに、都立駒込病院時代にガン治療に於ける西洋医学に限界を感じ、中国医学を取り入れようと思い中国に行き、ガン治療には調心・調息・調身の気功がベストであることが解ったそうです。そこで、西洋医学と東洋医学を統合した病院を造るため駒込病院を辞め、スタッフを集める中で山田幸子総婦長が快諾をしてくれ、一緒に帯津三敬病院を築き上げることができました。その過程に於ける山田婦長の力が如何に大きかったか、ということも話されました。
これからは、構想中の大ホリスティック医学を目指して行きたい」と、お話しを結びました。軽妙で笑いに満ちた、心温まる1時間でした。
10分間の休憩をはさんで、麻紗先生より参加者全員の紹介があり、後半の太極拳は参加者が多かったため二組に分かれて行い、二組とも伸びやかな演舞でした。その後、全員で八段錦。最後に、楊砂織師範の閉会の辞では参加者への謝辞と「師範の方々は是非とも指導者になっていただきたいと思います。指導者は大変さより得ることの方がずっと大きいので、皆さんにも教える喜びと充実感を味わって欲しい。そして、楊名時太極拳の素晴らしさを一緒に広めていきましょう」と、述べました。
好天に恵まれ、会場に恵まれ、仲間の和気の満ちた溢れた追悼大会でした。楊名時先生も天上で喜んでおられることでしょう!!
養心会 事務局記
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