太極拳の稽古の中間に、楊名時先生は必ず20分前後の間をとり、色々なお話をしてくださいました。ゆったりとした語り口と言葉の間のとり方が絶妙で、いかにも中国の大人といった感じです。私は目をつむって、楊先生のそのお話を40数年聞いてきました。私にとってこの時間は、型の習得以上に大きな学びの機会であり、「中国人はこのように物事を捉えるのだ、なるほど」、と頷けることが沢山あり人間探求の貴重な場でもありました。
今回のテーマも強く印象に残っております。武術の「武」の字を分解すると、上は戈で武器のこと。下の止は足の象形で行くという意味で、矛を持って戦いに行くことが本来の意味ですが、楊名時先生は「止」を止める意に解釈しました。武術は相手と戦うことではなく、戦いを止めること大切で、特に太極拳は戦わないで相手を説得し、和を尊ぶ平和拳法である、と教えられました。
また、「無敵」の一般的な意味は力の及ぶ相手がないことです。楊家太極拳を創った楊露禅は技が非常に強く、向こう敵なしだったので楊無敵と呼ばれていました。楊名時先生はこの無敵も、非常に強いことではなく、敵を作らないという意に解釈したい、とおっしゃっておりました。同感です。
8月15日は、66年目の終戦の日です。世界にはまだ戦火に苦しむ国が少なくありません。平和な日本で、健康法としての楊名時太極拳を稽古できることはまことに幸せなことです。
楊 麻紗