なぜ、名前が変わったか




楊名時太極拳を愛する皆さんからの一言


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なぜ、名前が変わったか
楊家養心太極拳                              「楊家養心太極拳」では、のれん分けして下さった楊名時先生のお心を大切にして、楊名時先生の型と志をより深く継承していきます   -   楊名時太極拳の王道を歩んでいく 本文へジャンプ楊家養心太極拳                              「楊家養心太極拳」では、のれん分けして下さった楊名時先生のお心を大切にして、楊名時先生の型と志をより深く継承していきます   -   楊名時太極拳の王道を歩んでいく











楊名時先生                             「楊家養心太極拳」では、のれん分けして下さった楊名時先生のお心を大切にして、楊名時先生の型と志をより深く継承していきます   -   楊名時太極拳の王道を歩んでいく





楊名時太極拳を学びたい 楊名時太極拳 24式 八段錦  楊家養心太極拳 楊名時先生のエピソード(53) - 「西瓜」

楊名時先生のエピソード(53)

西瓜

 

脳のトレーニングと自然との接点を忘れないために俳句を始めて、はや25年になった。太極拳の指導を終えて月1回の句会に出るのが精一杯で、主に句を作るのは句会場までの電車の中であるため、成績は一向に上がらない。たまに特選になったりすると、大喜びして翌日の太極拳の指導までがうまく行くのである。太極拳の仲間とは違った「詩」の仲間との繋がりの中で、私は言葉の感性を磨くと同時に、自分の心を解放しているように思う。その意味で、太極拳と俳句は同じ位置にある。

 さて、7月の句会で「西瓜」の即興句を作ることになった。賑やかに夕食をとっていた仲間が真顔になり、あれやこれや考え始める。私も西瓜、西瓜と頭を巡らしいるうちに、楊名時先生が無類の西瓜好きであることを思い出した。丸の西瓜は重く、冷蔵庫の中で場所をとるので、私は半分か四つ切りのものを買うのだが、楊名時先生は丸の西瓜が主だった。西瓜は体のむくみをとる利尿作用があり腎臓病の妙薬として知られている。それは95%が水分であるだけでなく、多くの栄養成分がバランスよく含まれているからである。蒸し暑い日本の夏は西瓜にかぎるといって、楊名時先生は嬉しそうに食べるのである。

 スイカを漢字で「西瓜」と書くは、西瓜の原産がアフリカで西の方から伝わってきたため、カボチャは南のカンボジヤから伝来したので「南瓜」と書くことも、楊名時先生から教わったのである。楊名時先生が亡くなられて丸12年。一人暮らしの私が今買う西瓜は、カットされたもの。その西瓜を仏壇に供えて、楊名時先生を偲んでいる。

因みに句会で作った私の即興句は

* * * * *

亡き夫の好みし西瓜今日も買ふ

 

楊 麻紗記




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楊名時太極拳を学びたい 楊名時太極拳 24式 八段錦  楊家養心太極拳 楊名時先生のエピソード(52) - 「胸(心)に涼風を」

名時先生のエピソード(52)

胸(心)に涼風を

 

7月19日に、関東甲信・中国・近畿・東海地方は梅雨明けをしました。関東地方では去年より10日、東海地方では9日早い梅雨明けで厳しい暑さが続いています。一方、6日に起きた九州北部豪雨や東北地方・北海道の記録的大雨などのニュースも、連日報道されています。被害にあわれた方々に心からお見舞い申し上げます。

 さて、楊名時先生は太極拳の稽古を四季に合わせて行うと、太極拳がより深まり妙味が増すと説いています。春は春風駘蕩のように「おおらかに」、夏は「胸に涼風を」、秋は「月のようにさわやかに」、冬は「寒さに耐える強さ」です。

このフレーズは、日本は温暖な気候で四季があるので、公園や合宿など戸外で稽古を行う時の、気持ちの在りどころとイメージをいったものです。太極拳の型をただ行うのでなく、自然の光や風と一体となって舞うほうが心身ともに開放され、運動後は誰でも爽快な気分になり、健康効果が上がるのは間違いありません。また、教室という限られた空間から自然へと場が大きく広がります。私は冷暖房のきいた室内での稽古でも、楊名時先生のこの言葉を心に留め、戸外で稽古しているようイメージして太極拳を行っています。

夏の涼風は、軽井沢の木漏れ日の白樺林が私の定番のイメージです。皆様も

お好きな風景をイメージして、心に涼風を引き込んでください。

* * * * *

太極拳胸に涼風引き込んで

 

楊 麻紗記




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楊名時太極拳を学びたい 楊名時太極拳 24式 八段錦  楊家養心太極拳 楊名時先生のエピソード(51) - 「座右銘」

画像: 海竜社出版本 「幸せを呼ぶ楊名時八段錦・太極拳」より

楊名時先生のエピソード(51)

座右銘

 

22日(土)、プロ野球日本シリーズが開幕し、32年ぶりの日本一を目指す広島カープが、初戦と第二戦をものにしました。また、このシリーズを最後に黒田博樹投手は引退を表明しました。黒田博樹投手は去る7月23日、日米通算200勝を達成しましたが、そのニュースをテレビで見ていた時、黒田博樹投手の喜びの表情とともに、意外な座右銘が私の耳を捉えました。
その座右銘は、「雪に耐えて梅花麗し」
「あれ?楊名時先生が、毎年梅の時期に話されている句と似ている。麗しではなく香る、という字の間違いではないのか」と、一瞬思いました。そして、黒田博樹投手の座右銘は維新の三傑の一人であり、江戸無血開城などで多くの人に慕われている政治家・軍人である西郷隆盛の漢詩「偶成」の一節から採ったということを知りました。そして、黒田博樹投手は高校の書道の授業でこの句の読み方と意味が解り、それ以来、座右銘を人生の指針としていくつかの困難を乗り越えてきたのだそうです。
野球選手の座右銘としては、一球入魂、努力、不動心、闘魂などが多いのですが、黒田投手の座右銘の場合は漢詩から採っているので、珍しいことと思いました。そして、41歳という高齢で大記録を達成した黒田博樹投手に、心から拍手を送りました。
 また、楊名時先生の話される句は、「梅花風雪に耐え、時到れば雅香を放つ」
です。両句とも梅の花が雪の寒さに耐えるからこそ、美しい花が咲き芳香を放つように、人も辛いことや苦しいことを耐え忍ぶことにより成長する、ということを意味しています。西郷隆盛の「偶成」は、甥の市来政道がアメリカに留学する時に贈ったもので、西郷隆盛が49歳で亡くなる5年前だそうです。
 さて、私が公私で鹿児島を訪れる時の定宿は、「城山観光ホテル」です。楊名時先生と初めてこのホテルに泊まってから、20年ぐらいになります。ホテルは城山という小高い山の上にあり、桜島をはじめ錦江湾や鹿児島市街が一望でき、夜景も素晴らしくまた、温泉は<美人の湯>としても有名です。
 城山は西郷隆盛が西南戦争に敗れ亡くなった場所のため、桜花の時期にこのホテルに泊まると、西郷隆盛の強い信念と豊かな人間性を想わざるを得ません。 
因みに、西郷隆盛の座右銘は「敬天愛人」。
この言葉も楊名時先生はお好きで、太極拳の稽古の時よく話されていました。
 願わくばこの日本シリーズに広島カープが優勝して、黒田博樹投手引退のはなむけになれば嬉しいです。

 

楊 麻紗



楊名時太極拳を学びたい 楊名時太極拳 24式 八段錦  楊家養心太極拳 楊名時先生のエピソード(51) - 「座右銘」

画像: 海竜社出版本 「幸せを呼ぶ楊名時八段錦・太極拳」より




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楊名時太極拳を学びたい 楊名時太極拳 24式 八段錦  楊家養心太極拳 楊名時先生のエピソード(50) - 「卓球」

楊名時先生のエピソード(50)

卓球

 

85日~21日までブラジル・リオデジャネイロで開かれた第31回オリンピックでは、日本選手は史上最多の41個のメダルを獲得し、日本中を沸せました。

それから20日余り経ちパラリンピックが始まっていますが、まだオリンピックの感動の余韻が残っています。

 数ある種目の中で私が応援したのは男子体操、柔道、卓球、バトミントンでしたが、中でも卓球男子団体戦に一番応援を送り、準決勝のドイツ戦に勝ち41年ぶりのメダルが決まった時には、思わず歓喜の声を上げ、拍手とガッツポーズをしてしまいました。エースの水谷隼選手、良く頑張りました。そして、私は楊名時先生と元卓球選手の荘則東を思い出しながら、男子団体戦を観戦したのです。 

 楊名時先生はとても卓球が上手いのです。京都大学の学生時代に、関西の学生対抗試合のシングルスで上位に入ったと聞きました。楊名時先生はカットを中心とした速攻が得意で、遊びで私とやった時、私はまったく歯が立ちませんでした。

また、 世界卓球選手権のシングルスで、1961年から1965年まで3連覇を果たした荘則東は、中国卓球界の名将であり中米ピンポン外交の功労者でもありました。この頃、私は中国語と太極拳を楊名時先生に教わっており、中国語の教室で楊名時先生は「ピンポンは軽いが友好は重い」、「友好第一試合第二」のフレーズを教材として取り入れ、私たちに紹介しました。日中との国交がまだ回復していない時代でしたが、楊名時先生も私も荘則東のフアンでした。

荘則東は文化大革命で投獄され政治の荒波に揉まれましたが、鄧小平のはからいで日本の佐々木敦子さんと再婚を果たし、2013年2月10日73歳で亡くなり、楊名時先生も2005年に80歳で亡くなっています。

 楊名時先生と荘則東は、手足の長い容姿と柔らかい雰囲気が驚くほど似ており、相手との長いラリーからの鋭いスマッシュが、水谷選手とも通じるように思いました。その意味で、今回の男子卓球のテレビ観戦は特に印象深いものがありました。

 

楊 麻紗




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楊名時太極拳を学びたい 楊名時太極拳 24式 八段錦  楊家養心太極拳 楊名時先生のエピソード(49) - 「好むよりは楽しむ」

楊名時先生のエピソード(49)

好むよりは楽しむ

 

楊名時先生の太極拳の指導法には、決まった順序があります。ニイハオの挨拶から始まり、立禅、用手、八段錦、通し稽古までが前半で、後半は部分稽古、通し稽古、八段錦、立禅、甩手、最後は感謝のシェシェの挨拶で終わります。私はこの稽古の流れを、ストーリーと呼んでいます。このストーリーに沿って太極拳を舞うと、実に気持ちがよく体が解れるのです。

 前半の稽古と後半の稽古の間は小休止して、お話をされます。大体20分前後の話ですが、その内容は太極拳に限らずさまざま。一番多かったのは孔子・老子などの中国の先哲の教えです。中でも『論語』は小学校の時、国語の授業で論語の暗記があり、これができないと家に帰れないため、内容は解らず必死で覚えたそうです。その先生は元官吏登用試験である科挙に合格した偉い先生で、楊先生が長じて論語の深い意味が解り、先生に感謝するようになったと、話されていました。

 表題の原文は、論語雍也第六「之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず」。このフレーズは日本でも有名で、私たちは楊先生から何度も聞かされました。太極拳に関していえば、太極拳の知識がいかにあっても太極拳を好む人に及びません。また、太極拳が非常に好きでも、太極拳を楽しんでいる人にはやはり及ばない、という意味です。なぜ、及ばないのでしょうか?それは太極拳と自分が一体化されていないからです。「楽しむ」とは雑念を払い心を放下して、太極拳と自分が融合すること。上手下手

に関わらず、とにかく楽しむことが最上なのです。楽しんで太極拳を舞うと心が落ち着き、体も柔らかく軽くなり、稽古のあとの気持ちは言葉に表せないほど清清しい。

 楽しむ者が一番長く続き、そして深く味わうことができることの教えです。

 

楊 麻紗




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楊名時太極拳 24式  八段錦  楊家養心太極拳 楊名時先生のエピソード(48) - 「温め酒」
上記画像は、「帯津三敬塾クリニック2015年カレンダー」より


楊名時先生のエピソード(48)

温め酒

 

<林間に酒温めて紅葉焼く>という故事があります。白居易が陝西省の仙遊寺に遊んだ時に詠んだ句で、初冬の風流を述べたものです。また、この句は平家物語の高倉天皇の逸話でも有名で、私は中学時代に知りました。高倉天皇が10歳の頃、庭の築山に紅葉を植え楽しまれていましたが、ある夜嵐が吹き紅葉を散らしてしまった。翌朝、召使たちはその紅葉をかき集めて焚き火をして、酒を温めて飲んだのです。そのことを知った天皇は叱ることなく、詩の心を解っていると逆に褒められたという逸話です。

 さて、楊名時先生は無類のお酒好きであり社交好き。酒席や集まりには必ずといっていいほど出席し、家でも晩酌を欠かしたことがありません。一番好まれたのはビールで、キリンの一番絞り。季節を問わずまずビールで喉を潤し、後は料理に合わせて日本酒であったり中国酒であったりしますが、洋酒やワインはあまり飲みませんでした。中国酒では温めた「紹興酒」を一番多く飲みました。また、帯津良一先生が診療を終えて楊先生宅を訪れた時は、「茅台酒」や「白乾児」または「分酒」などの強い酒を少し飲むこともありました。帯津先生はお酒がとても強く、50度ぐらいあるこれらの酒をオンザロックで飲まれていました。酒を酌み交わしながら、世間話などは一切せず太極拳や気功などの話題に花を咲かせ、愉しそうに過ごします。そして、判で押したように、夜の8時半になると帯津先生はお帰りになりました。お二人とも、節度をもってお酒を心から愉しむ達人でした。

 楊先生が亡くなられて10年。今頃、あの世で楊先生は太極拳の仲間と温め酒を愉しんでいることでしょう。

 

楊 麻紗




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楊名時太極拳 24式  八段錦  楊家養心太極拳 楊名時先生のエピソード(47) - 「世界一美味しい餃子」

楊名時先生のエピソード(47)

世界一美味しい餃子

 

JR東京駅八重洲口から3分ほどの所に、本格中華とジャンボ餃子の老舗「泰興楼」があります。この店は戦後間もなく初代店主の于さんが開いたもので、3代目の現代でもその製法と味を受け継ぎ、皮もあんも毎日手作りでジャンボ餃子を作り、その味を守っています。皮は少し厚めですが、柔らかく、あんはジュウシーで、一度食べたら病みつきになる味です。楊名時先生はここのジャンボ餃子を「世界一美味しい餃子」と仰っていました。確かに美味しいです。泰興楼のほかに東京には2つジャンボ餃子店がありますが、食べ比べてみると泰興楼には及びませんでした。

 楊名時先生によると、初代の于さんは外国航路のコックを勤めながら腕を磨き、工夫に工夫を重ねてジャンボ餃子をあみ出し、成功したのだそうです。また、宇さんは楊名時先生の太極拳当初からの良き理解者であり、太極拳のイベントにも出席してくださいました。私は楊名時先生のお供で、50年近く餃子を食べに泰興楼に通い続けました。このお店では、楊名時先生に特別のサービスをしてくださいました。それは、楊名時先生の好物<なまこの醤油炒め>でした。

 今年は、楊名時先生が亡くなられて満10年。恒例の追悼大会は、先生の命日を6日後に控えた6月月27日に行われますが、有志による夜の打ち上げは今年も泰興楼です。世界一美味しい餃子をいただきながら、楊名時先生と初代店主の于さんをお偲びすることにしています。

 

             楊 麻紗




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楊名時太極拳 24式  八段錦  楊家養心太極拳 楊名時先生のエピソード(46) - 「冷水摩擦50年」

楊名時先生のエピソード(46)

冷水摩擦50年

 

 寒中お見舞い申し上げます。

もうすぐ立春だというのに、大寒波が日本を襲っています。30日には都心でも積雪がありました。また、週末には北海道や日本海側は台風並みの爆弾低気圧により、吹雪や大雪に見舞われていますが、私の故郷の新潟県・朝日村では1メートル以上の積雪だそうです。皆様お元気ですか?

楊名時先生の健康法には太極拳のほかに「冷水摩擦」があります。冷水摩擦をやるきっかけは、若い時からのアレルギー鼻炎を治すため医師より勧められたと聞いています。以来、2005年5月帯津三敬病院に入院するまで冷水摩擦を行っていました。その間、実に50年の長きに亘ります。

冷水摩擦は昔からある健康法で、水につけたタオルを強く絞り体を擦るもので、血液の循環と代謝を高める効果があるといわれています。次に、楊名時先生のやり方を紹介しましょう。

朝食の1時間前に起床し、洗面所で上半身裸になり、冷水につけて絞ったタオルで首から腕の前後面を擦ります。そして、タオルを冷水ですすぎ、次に胸と腹、背中と腰を擦り、最後に洗顔とひげを剃ります。約30分ほどかけて行うのですが、洗面所には暖房がありません。しかし、冷水摩擦を行った後は顔はピンク色になり、体がとても温かそうに見えました。

楊名時先生はこの冷水摩擦を寒中でも欠かしたことはなく、また旅行中でも必ず行っていました。そのお陰でしょうか、風邪やインフルエンザにかかったことは、50年間私の記憶にありません。太極拳と冷水摩擦、継続は力なりです。

 

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(45) - 梅蘭芳芸術特選「覇王別姫」

虞美人草(ヒナゲシ) 安田 要さん撮影


楊名時先生のエピソード(45)

梅蘭芳芸術特選「覇王別姫」

 

 去る5月14日、中国国家京劇院による「覇王別姫」を、志木教室の仲間と観ました。10数年ぶりの京劇で私の好きな演目と同時に、楊名時先生を思いだしました。京劇団の来日は、民音創立50周年と梅蘭芳生誕120周年を記念したもので、会場は満席でした。エピソード(21)でも紹介しましたが、楊名時先生は京劇の好きな演目があると、太極拳の仲間20~30人を連れてそれを観に行きました。5回ぐらいは先生とご一緒しています。当時の会場は国立劇場で、今回は中野サンプラザでした。

 楊名時先生は太極拳の稽古の合間に、何度も梅蘭芳の話をされ、京劇の女形のお辞儀の仕草をして皆を喜ばせていました。私は一度も彼の演技は見ていないのですが、楊名時先生の話を聞くうちに、私の胸の中でどんどん梅蘭芳のイメージが膨らんでいきました。梅蘭芳(1894~1961)は祖父・父母とも有名な京劇俳優一家に生まれましたが、子供のころ両親に死に別れ、預けられた叔父も亡くなっています。京劇を志すのですが、余りにも不器用だったため、師匠は才能がないと諦めて逃げ出すほど。しかし、彼は人一倍努力を重ね、中国を代表する名優になりました。

 今回の演目「覇王別姫」は紀元前202年、楚の項羽と漢の劉邦の凱歌の戦いを題材にしたものです。四面楚歌の故事や項羽の寵姫虞美人は死後ヒナゲシに化したという説話で有名な悲劇。この演目は梅蘭芳のために作られたもので、今回も当時と同じ歌・演出・衣装での公演でした。そして、現代の京劇では虞美人は女優が演じるのですが、彼女らは梅蘭芳が作り上げた歌と演技を継承しているそうです。

 京劇特有の歌唱法ときらびやかな衣装、しなやかな身のこなしの剣舞は、さすが中国国家京劇院!と感嘆しました。また、「京劇を観る時には、役者の指先のこまやかな動きにも注意して観るように」との、楊名時先生の教えが大いに役立った観劇でした。

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(44) - 「最高のものは一回」
伊勢神宮 奉納演舞

楊名時先生のエピソード(44)

最高のものは一回

 

 俳優の高倉健さんが11月3日、文化勲章を受章されました。フアンの一人として、心からお喜び申し上げます。

昨年の9月8日、NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」を見ました。高倉健さんの映画<ありがとう>の撮影現場を追いながら、彼の俳優としての仕事ぶりを紹介したもので、なかなか見応えがありました。高倉健さんは日本の寡黙で耐える強い男を演じてきました。あまりテレビにはでず、彼の考え方などはあまり知られていませんでしたが、彼の仕事に対する姿勢が分かりとても面白かったです。ぽつりぽつり語る言葉がずしりと胸に響きました。そのいくつかを紹介します。

 最高のものは1回。1度きりを生きる。役を演じることはテクニックではなく、生き方が芝居に出る、特に映画では。俳優は体が資本。そのために体重をコントロールし、何十年と変わらない。撮影中は座らない。現実の生身をさらし、心に感ずるものを演じ、心によぎらないものはできない。同じものはできない。だから本番は1回きり。

 彼は81歳とは思えないほど姿勢がよく元気なのは、日本のリーダーと呼ばれた人の生き様を描いた本を読み、自分を律してきたと語っていました。

 楊名時先生も太極拳の稽古の姿勢は、高倉健さんと同じでした。1回の稽古は1回きり、その一回にすべてをかけて行うことを力説しました。そして、本を作るときの写真も、ビデオを作るときの演舞も1回きりで、2度3度の取り直しはしませんでした。それだけ気持ちが集中しているということです。

 

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(43)

甘酒

 

 五黄という年のせいでしょうか、日本列島は猛暑、ゲリラ豪雨、東北の長雨など激しい気象にみまわれておりますが、皆様お元気ですか。

太極拳で良い汗をかいて、熱中症・夏風邪などにかからないようにしましょう。

*****

 さて、楊名時先生の好物に「甘酒」があります。外で食べる時は中華料理が多いのですが、家庭ではほとんどが和食です。特に、甘酒は一年中飲んでおりました。私は甘酒の甘みが強いので、楊先生と初詣に行ったとき外でしか飲みませんでした。

 ところで、甘酒は夏の飲み物だということを知っておりましたか?俳句では甘酒は夏の季語になっております。一夜酒、甘酒売りなどの傍題がついており、江戸時代には甘酒売りの行商も盛んだったそうです。私は長い間、なぜ甘酒が夏の季語になっているのかよく分かりませんでした。

 最近、その理由が分かりました。しかも、体にすごく良い発酵食品であることも。東京農大の小泉武夫教授は、日本の数ある発酵食品の中で甘酒が一番すぐれており、「甘酒は飲む点滴」といっています。ブドウ糖が20%強、ビタミンB群が多く、またアミノ酸も豊富に含まれているとのことです。これらの栄養素が免疫を高めてくれるのです。

 江戸時代でも夏は相当蒸し暑かったそうで、今のように冷房があるわけではありませんので、夏バテをする人も多かったとか。そこで、体の弱い人が甘酒を安く買って飲めるように、幕府が保護していたそうです。因みに甘酒一杯の値段は4文で、お酒の4分の一です。

 テレビでこのことを知ってから、私も甘酒を薄めて甘さを加減し、冷やして飲んでおります。楊名時先生を偲びながら。。。 皆さんも日本が誇る発酵食品の甘酒を飲んで、厳しいこの夏を元気に過ごされては如何でしょうか。

 

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(42) - 「霧島神宮へ再び 後編」

楊名時先生のエピソード(42)

霧島神宮へ再び  後編 

 

 520日、私たち一行はレンタカーで桜島を一周し、一路霧島神宮に向かいました。鹿児島市内のホテルを出発した時は曇り空でしたが、霧島市に近づくにつれ雲が薄くなり、霧島神宮に着いた時は快晴でした。杉木立の参道を抜けると、鮮やかな朱色の社殿が見え、新緑の森の中に映えていました。

 鳥居を潜るころから、ピリピリと体に気を感じるようになりなり、樹齢800年のご神木の前では強くそれを感じました。10年前、私はここで太極拳を舞いました。今回は舞いませんでしたが、仲間の皆さんも気を感じたとのことでした。やはり、ここはパワースポットなのです。

 次に、霧島神宮から車で15分ほどの高千穂河原に行きました。ここは高千穂峰の西麓にあり、散策路やキャンプ場が整備され、高千穂峰の登山にもなっています。大小23の火山からなる霧島連山のなかで、高千穂峰は天孫降臨の山として最も有名で、その山容は実に優雅で美しいものでした。木の生えない山肌を満開のミヤマキリシマ(つつじの一種)がピンクに染め上げ、まさに絶景でした。

 散策路を少し登った所に、天孫降臨斎場があります。ここは中世に霧島神宮があった所で、そこに立つと不思議な感覚に襲われました。神話の世界にタイムスリップしたようでもあり、日本人としての遺伝子を感じたようでもあり、また、神聖な山の気に全身が打たれたようでもありました。「ここで、太極拳を舞いましょう」との仲間の声に我に返り、太極の華を高千穂峰と斎場に捧げました。

 楊名時先生が直観で「奉納演舞」を思いついたのは、目に見えない神仏の力を感じて欲しかったのではないでしょうか。 今回の霧島神宮再訪で、そのことを改めて思いました。

楊 麻紗


楊名時先生のエピソード(42) - 「霧島神宮へ再び 後編」



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楊名時先生のエピソード(42) - 「霧島神宮へ再び 前編」

楊名時先生のエピソード(42)

霧島神宮へ再び  前編 

 

 以前、楊名時先生のエピソード(40)で述べました気について、もう一度触れたいと思います。

 「気」はまだ科学上ははっきりと解明されておりませんが、「気は見えずして働きあるのみ」と、何千年も昔から言われております。その見えない気の働きを10年前に太極拳の教室で体験してから、私は気の存在を確信するようになりました。東京・池袋教室の70代の男性は、楊名時先生が入室すると必ず肩や首を動かし始め、わなわなと震えだすのです。そして、楊先生が手を動かし始めると、絶叫して教室中を駆け回りました。しかし、楊先生が「大丈夫、大丈夫」と語りかけると、不思議なことに男性の動きがピタリと止まりました。

 不思議なこともあるものだなと思っているうちに、その男性は私にも反応するようになりました。稽古のあとで、男性に尋ねました。

「太極拳や気功の先生ならどなたにも反応するのですか?」

「いいえ、楊名時先生と麻紗先生だけです」と。

 因みに、男性の反応が強く表れるのは神社に参拝した翌日の教室であることが分かりました。一番反応の強かったのは霧島神宮でした。このようなことがあって以来、霧島神宮は気場の強い場所として印象深いものとなりました。

5月20日、前日、出水市で行われた「肥薩友好会研修会」に参加した県外組14名と共に、私は10年ぶりに霧島神宮を訪れることができました。

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(41) - 「冠雪の富士山」

楊名時先生のエピソード(41)

冠雪の富士山

 

 立春とは名ばかりで厳しい寒さが続いております。皆様おげんきですか?

この寒の戻りはしばらく続くそうです。風が流行っているうえにスギ花粉も飛び始めました。体調管理に十分お気をつけください。

 さて、埼玉県の越谷市にある教室に向かう途中のことです。新宿から埼京線に乗り武蔵浦和で乗り換えて、越谷レイクタウン駅で降りる約1時間余りの間、私は読書を楽しんでいます。1月7日の初日、東京の赤羽を過ぎ埼玉の戸田公園駅に近づいたころ、何気に車窓をみると雲一つない冠雪の富士山が見えるではありませんか。その神々しさは息を呑むほどでした。私はうかつにも富士山が埼玉で見えるとは全然知りませんでしたので、驚くと同時に感動しました。そして、武蔵浦和の乗換駅まで席を立って富士山を眺めておりました。その日の稽古は気が充実していたことは言うまでもありません。1月7日より今日まで4回稽古に通いましたが、いずれの日も富士山が眺められラッキーでした。

 楊名時先生は富士山が大好きでした。東海道新幹線に乗るときは、楊名時先生自ら駅に行き切符を買うのですが、その時は必ず富士山の見える側の真ん中の座席をとるのが常でした。そして、富士山が見えると「きれいだね、今日はいいことがあるよ」とニコニコ顔になるのです。見えないときはとても淋しそうでした。

 富士山は日本の象徴として世界に知られておりますが、その優美な姿が最も輝くのは雪化粧した富士山ではないでしょうか。富士山は高さだけでなく、日本一の癒しの地だそうです。その癒しの力は富士山に登らなくても、その姿を眺めたり写真や絵を飾るだけでも効果があると聞きました。

 我が家の楊名時先生の写真脇には、冠雪の富士山の絵とカレンダーを掛けております。

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(40)その2 - 「神仏の見えない力」

楊名時先生のエピソード(40)

気について(2) 神仏の見えない力

 

 そのうちにOさんは私にも反応するようになりました。ある時、私は七段錦で満身の気を込め男性の心臓めがけて拳を突き出したところ、“ギャー”と絶叫しながら大の男が駆け回ったのです。稽古の後で彼に気功の先生には誰にでも反応するか聞いてみたら、「楊名時先生と麻紗先生だけです」とのこと。それを聞いて、私は自分の気が楊名時先生の気の波長と同じであることを知り、嬉しくなりました。そして、楊名時先生に一歩近づいたことを実感しました。

また、彼の反応が強く表れるのは、私が神社に参拝した翌日教室であることが分かりました。一番強かったのは、九州の霧島神社、その次が東京の靖国神社でした。楊名時先生が直感で「奉納演舞」を思いついたのは、目に見えない神仏の力を感じて欲しかったのではないかと思います。

2006年の養心会の設立後は、気を実感している人々が自然に集まってきたように思います。仲間の集まる所には“幸せの精霊”がたくさん写真に現れたり、気場の強い篠島での合宿等を通して、気の働きを実感するようになりました。このような体験を重ねるうちに、私の太極拳が深くなったように思います。

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(40)その1 - 「楊名時先生の気と同調」

楊名時先生のエピソード(40)

気について(1) 楊名時先生の気と同調

 

 「気」はまだ科学上はっきりと解明されていませんが、何千年も昔から「気は見えずして働きあるのみ」といわれています。

その見えない気の働きを太極拳の教室で体験してから、私は気の存在を確信するようになりました。東京の池袋教室の70年代の男性で気に敏感な人がいました。その人は楊名時先生が教室に入った途端に、首や肩を動かし始め、わなわなと震え出す始末です。そして楊名時先生が手を動かし始めると、絶叫して教室中を駆け回るではありませんか。教室の皆はびっくり仰天。しかし、楊名時先生が「大丈夫、大丈夫」と語りかけると、不思議なことにピタッと動きが止まるのです。

最初は私も驚き、頭がおかしくなったのだと思いましたが、楊名時先生が来られる度にこの反応が出るので、教室の皆も慣れてきてびっくりすることはありませんでした。

絶叫して走り回るOさんに、その時の状況を教室の人が聞いたところ、楊名時先生の気が火の玉となって体に入り、それを声を出したり駆け回って放電しないと、自分の体が木っ端みじんになってしまうのだそうです。

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(39) - 「歩く時は足の裏にも気を配る」

楊名時先生のエピソード(39)

歩く時は足の裏にも気を配る

 

秋暑お見舞い申し上げます。

彼岸が近いというのに、真夏日が続いております。皆様おげんきですか?この秋暑はしばらく続くそうです。体調を崩さぬようにお気をつけください。

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 さて、久しぶりのお休みの日、山積みの本を整理をしました。その途中、すでに読んでおりました帯津良一先生の『ときめき養生食』を手に取り、ページをめくりますと、楊名時先生の言葉が載っておりました。“転ばない・つまずかない、重心のとり方・気の持ち方”の小見出しがあり、「太極拳の楊名時先生は歩く時や、階段を下りる時は、足の裏にも目があるつもりで、足の裏の目で確かめるように歩きなさい」と紹介しておりました。

 私も何度かこの言葉を聞きました。太極拳は重心のバランスを計りながら、ゆっくりと足を動かすため、足の裏にも気を配ると足運びが滑らかになり、バランス感覚が養われます。また、足の裏にも目を配ることにより集中力が高まり、気血の流れがよくなり、運動効果も増します。

 太極拳の稽古を続けていると足腰が丈夫になり、年配の人でも転ぶことが少なくなります。たとえ転んだとしてもケガは軽く、治りも太極拳をやらない人より早いことが医学的にも実証されております。年配者の転倒による骨折はボケにつながります。太極拳にかぎらず、毎日歩く時に足の裏にも気を配ってみてはいかがでしょうか。足心から大地のエネルギーを吸い上げるような感じで...

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(38)

武は戦いを止めること

 

太極拳の稽古の中間に、楊名時先生は必ず20分前後の間をとり、色々なお話をしてくださいました。ゆったりとした語り口と言葉の間のとり方が絶妙で、いかにも中国の大人といった感じです。私は目をつむって、楊先生のそのお話を40数年聞いてきました。私にとってこの時間は、型の習得以上に大きな学びの機会であり、「中国人はこのように物事を捉えるのだ、なるほど」、と頷けることが沢山あり人間探求の貴重な場でもありました。

 今回のテーマも強く印象に残っております。武術の「武」の字を分解すると、上は戈で武器のこと。下の止は足の象形で行くという意味で、矛を持って戦いに行くことが本来の意味ですが、楊名時先生は「止」を止める意に解釈しました。武術は相手と戦うことではなく、戦いを止めること大切で、特に太極拳は戦わないで相手を説得し、和を尊ぶ平和拳法である、と教えられました。

 また、「無敵」の一般的な意味は力の及ぶ相手がないことです。楊家太極拳を創った楊露禅は技が非常に強く、向こう敵なしだったので楊無敵と呼ばれていました。楊名時先生はこの無敵も、非常に強いことではなく、敵を作らないという意に解釈したい、とおっしゃっておりました。同感です。

 815日は、66年目の終戦の日です。世界にはまだ戦火に苦しむ国が少なくありません。平和な日本で、健康法としての楊名時太極拳を稽古できることはまことに幸せなことです。

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(37)後編 - 「いつでも、 どこでも、 だれにでも」

楊名時先生のエピソード(37

後編

 

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先週に続いて、楊名時先生の太極拳の解釈を、ご紹介いたします。

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いつでも、 どこでも、 だれにでも

 

太極拳のもう一つの大きな特徴に、動作を深く長い呼吸に合わせて行なうということがあります。太極拳の呼吸は、蚕の糸のように細く長く静かに吸ったり、吐いたりします。

怒りを放って、わが心の幸福、平穏をねがいながら、気を丹田(へそ下三センチ~九センチ)に集めて、深く静かにお腹をふくらませるつもりで息を吸ってください。そしてこんどは、お腹をへこますようにして、静かに長く息を吐くのです。こうして呼吸をしていると、心がおだやかになり、固くなっていた体もほぐれて軽くなるから不思議です。

呼吸は、小宇宙である人間が、大宇宙のエネルギーを体内に吸収するもので、とくに、ゆったりとした呼吸は、心と体をいきいきさせます。大宇宙の中に満ちている精気・活気といった自然界の生きる力すべてを自分の体の中にとり入れ、体中をめぐらして、静かに吐き出すという気持ちでしていただきたいのです。丹田という場所は、太陽巣といって、人間の生命の中心となるところです。ここに気を集める呼吸法を行なうと、自然に雑念が払われ、心が冷静、沈着になり、精神が充実してきます。生きる喜びが湧き上がってくるのです。

人間の体はこのうえなくすばらしい芸術品です。どんな芸術家もつくることのできない、自然が生み出した傑作です。

しかし、この傑作も、働きすぎれば疲れますし、さらに無理を重ねれば病気になってしまうでしょう。中国では「病治未然、不治既然」つまり「病気にかかる前に予防することが第一で、病気になってからでは治せるものと治せないものがある」といいます。現代のような進んだ医療技術の中でも、予坊は治療に勝るのです。

太極拳はむずかしい動作や激しい動作がありませんから、スポーツの苦手な人や、お年寄り、病後の回復期の人でも無理なく始められまず,そして、なにひとつ道具はいらず、特別な服装も必要ありません。左右四メートルほどのスペースがあれば、どこでもできるのです。 

このように、いつでも、どこでも、だれにでも手軽にできて、生涯つづけられるのが太極拳の魅力です。義務感からするのではなく、楽しみとして続けていただければと思います。そのうちに、なぜか心も体も楽しくなり、食べものがおいしく、仕事もうまく進み、人づきあいもスムーズにいき、一日が楽しく過ごせ、夜、満足して安心して休めるというふうになります。太極拳を楽しみながらつづけているうちに、あなたが願っていた以上のものが生まれてくるのです。太極拳を行うことによって、大宇宙と交流をはかり、自らの生命力を高め、健康と幸福を手にしていただきたいと思います。




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楊名時先生のエピソード(37)前編 - 「まろやかに、流れるように」

楊名時先生のエピソード(37

前編

 

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不思議なことで、楊名時先生が太極拳を自ら演舞指導する映像はほとんどありません。1986年に池袋コミュニティ・カレッジ通信教室で作成されたビデオテープがその一つです。コミュニティ・カレッジより了解を得て、楊名時先生が太極拳を解釈されている付録文書の一部を、2回続けてご紹介いたします。お楽しみにして下さい。

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まろやかに、流れるように

 

太極拳では、ニ十四の動作をゆったりと連続して、 とぎれることもなく、次々と行ないます。あたかも、中国の大河が昼夜を問わずとうとうと流れているように続けていくのです。 

動きはじめる前に、多少緊張したり、体が硬くなっていたとしても,次々と動作を続けていくうちに、しだいに体のこわばりがとれ、心の緊張もほぐれてくるものです。

流水不腐

これは私の大好きな言葉です。流れる水は腐りません。私たちも、いつもゆったりと自然の流れに沿って、とどまることなく生きてゆくことが必要です。天地が休みなく動くように、小宇宙である私たちの体も、動きをとめることがあってはなりません。水の流れるように、ゆったりと休みなく、バランスよく、リズムにのって体を無理なく動かすのが太極拳です。疲れたときも、睡眠不足のときも、嬉しい時も悲しい時も、毎日けいこをしましょう。すると意欲が湧いてきます。そして、ついには深い心の統一にまでいたるのですが、それは切れ目なく、ひたすら動作を続けていくうちに自然に体得できるようになるのです。

太極拳を行なっているときには、仕事のことも、悩みも、心配も、すべて脇において、身心を太極拳に頂けてください。ほかのことは何も考えないで、すべてを忘れて太極拳だけに打込みます。動いているうちに、心と体のバランスがととのいます。ゆったりとした動き、ゆったりとした呼吸は気力を充実させ、憂いを解き放ってくれます。精神が集中すると、大脳や中枢神経の動きがスムーズになります。また、アメリカの長寿に関する研究を行なっているグループは、百二十歳まで生きる条件として、毎日少なくとも十五分ずつ、神経をリラックスさせることを挙げています。

 太極拳では「ボールを抱える形」とか「両手で円を描く」などということを言います。これでわかるように、まろやかな動きが中心になっています。円運動は、内臓にほどよいマッサージ効果を与え、体全体に好影響を与えます。また、精神面でも安定感をもたらします。円は直線と違って切れめがなく、太陽や地球の形とも同じで、宇宙のイメージともつながります。円運動は自然の法則にのっとった永遠の美しい動ききといえるでしょう。




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楊名時先生のエピソード(36) - 「優しいまなざし」

楊名時先生のエピソード(36)

優しいまなざし

 

楊名時先生は太極拳を稽古する時、まなざしの優しさを力説しています。昔から目は心の窓といわれます。悲しい時は悲しい目に、怒りや不満の時は目付きがきつくなりますので、特に指導者は目付きに気をつけ、笑顔で太極拳を行うことが大切です。指導者の笑顔と優しいまなざしは人を癒し、きつい目付きは人を緊張させます。

2008年「国宝薬師寺展」が東京国立博物館(上野)で開かれました。日光・月光菩薩立像の東京初公開とのことで、大変好評を博しました。私は奈良で何度も楊名時先生と拝見していたので、上野には行きませんでしたが、新宿の駅で公開を知らせる大きなポスターが目に留まりました。それは日光菩薩と月光菩薩が向かい合ったもので、次のようなキャッチコピーが付けられていました。

日光菩薩には「優しいまなざし」、月光菩薩には「清らかなまなざし」です。奈良で拝見した時は両菩薩とも同じようなまなざしと思っていたのですが、よく見るとちがうのです。日光菩薩の方は顔が少しゆるみ、優しい目付きでした。

以来、私は太極拳の教室に入る時、日光菩薩の優しいまなざしと楊名時先生を思い浮かべています。

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(35)

長い息は長生きに通ずる

 

最近読んだ本に『実年齢より20歳若返る生活術』があります。ガン専門医の南雲吉則先生が書かれたもので、大変参考になりました。南雲先生はお父様が心筋梗塞で倒れられたことで、45歳のとき一念発起して、食事と生活習慣を変えたことにより56歳の現在、血管年齢、骨年齢、脳年齢ともに20歳若返ったというものです。

この本の中で私が注目したのは、すべての動物が一生の間に打つ拍動数は、20億回と決められているということです。ですから、激しいスポーツやジョギングをすると呼吸が速くなり、心拍数を増やすことになり短命につながります。10数年前になりますが、新聞に「職業別による長寿比較」というのが載りました。その中で一番長命が政治家と宗教家、そして一番短命なのがスポーツ選手でした。

楊名時先生は常に、太極拳の呼吸をゆっくり行えば、長生きに通じるといわれておりました。心が緊張すると拍動が速くなります。心は心で制することはできませんが、呼吸を意識的に深くすると、心は落ち着きます。そして、太極拳は心臓に負担をかけずに、呼吸を乱すことなく動くため、下半身が鍛えられ健康に役立つのです。そして確実に10歳は若返ります。

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(34) - 「大仏様と同じ手の形」

楊名時先生のエピソード(34)

大仏様と同じ手の形

 

楊名時先生のお供で、奈良を訪れた時のことです。関西での太極拳の大きな行事を無事終え、楊名時先生はお疲れのご様子だったので、常宿にしている奈良ホテルで休んでいただき、三人の仲間と東大寺に行きました。

高校の修学旅行と合わせて三度目の参拝ですが、奈良時代に聖武天皇が国力を尽くして建てた総国分寺だけあって、何度訪れても伽藍の偉容と大仏の大きさに驚かされます。ご本尊の大仏の高さは14.7メートルあり、法華経の説く大宇宙を象徴している仏様とのこと。

正面で大仏の全体像を拝見合掌し、後ろに回って斜めから大仏の右手を見て、「あっ!楊名時先生太極拳の手と同じだ!」と心で叫びました。衆生を救うために前方に出された大仏様の右手は、伸びきることはなく、肱と肩にゆるみがありました。太極拳のポイントである「力を抜く」ことのカギを、大仏様の右手の形で学びました。嬉しい発見でした。

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(33) - 「冷水摩擦」

楊名時先生のエピソード(33)

冷水摩擦

 

立春とは名ばかりで厳しい寒さが続き、日本海側では大雪になっております。インフルエンザも流行っておりますが、皆様お元気ですか?

楊名時先生の一日は、冷水摩擦から始まります。朝起きて、洗面所ですぐに上半身裸になり、冷水摩擦を行います。寒い時でも暖房をつけずに20分ほど丁寧に体をさすり、その後ゆっくりとヒゲをそります。

楊名時先生の色白の体は冷水摩擦により温まり、肌はピンク色となり生気溌溂になります。そして、元気な声で「おはようございます!」とあいさつし、家族のだれよりも上機嫌でよい顔つきをしています。

冷水摩擦は寒中や朝早く仕事にでかける時でも休むことはなく、楊名時先生が80歳になるまで毎日続きました。楊名時先生は鼻炎アレルギーがあり、小さい時はよく風邪をひかれたそうです。その体質を改善するために冷水摩擦を始められたとのこと。

この冷水摩擦と太極拳のお陰で、楊名時先生が風邪をひき医者にかかったことは、50年間一度もなかったそうです。何事も継続は力なりです!

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(32) - 「正月料理・大根餅」

楊名時先生のエピソード(32)

正月料理・大根餅

 

皆さま、「大根餅」をご存じですか?大根餅は中国のお正月料理には欠かせないものです。私が初めて楊名時先生と大根餅を食べた時、「え、これが餅?」と驚きました。私は日本の餅をイメージしていたのですが、大根餅はもち米ではなく、上新粉と浮き粉とよばれる小麦粉で作るのです。

 水で溶いたその粉に大根の千切りを混ぜ、うま味を出すために中国ハムや干し椎茸、干し貝柱、干しえびなどを加えてセイロで蒸すものです。とても美味しく、しかも消化の良い料理です。

 楊名時先生は毎年暮れの30日、横浜中華街の「有昌」で大根餅を買い求めていました。直径25センチ、高さは10センチぐらいの大きな大根餅です。これを横浜から電車に乗って持ち帰るのですから、楊名時先生はいかに大根餅がお好きだったか、お分かり頂けると思います。

 食べ方は、日本のお餅ぐらいに切り、フライパンに油をしいてこんがりと焼き、しょうが醤油で頂きます。

 楊名時先生だけでなく、帯津良一先生も大根餅が大好きで、お酒を酌み交わしながらの夕食を、楊名時先生のお宅で楽しまれておりました。

楊名時先生が亡くなられて、7年が経ちました。

 

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(31) - 「体が微笑む」

楊名時先生のエピソード(31)

体が微笑む

 

天高く馬肥ゆる、実りの好季節になりました。今年も太極拳のお仲間より、栗を頂きました。丹波栗の見事な粒ぞろいのもので、自宅の庭に栗の木があるのだそうです。そして、荷の中に「自然の贈り物に感謝」と一筆箋が入っておりました。早速、栗ごはんと渋皮煮を作り美味しく頂きました。

栗が熟し外側の毬が割れることを、栗が笑う・栗笑むと擬人化して言いますが、私は栗を見るといつも楊名時先生の次の言葉を思い出します。

「体が微笑むよう」と。

 太極拳を稽古したあとは、どなたでも心と体がほぐれ、風呂上がりのように気持ちよくなります。この状態を楊名時先生は「体が微笑む」と表現したのです。まさに名言です。

副交感神経が優位になり、心身がほぐれますと自然に顔が穏やかになり、心にも余裕が生まれ人を許すことができるようになります。そうなれば、自分だけではなく周りの人々をも幸せにすることができます。

 そのことを、楊名時先生の言葉は教えております。

 

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(30) - 「縁は異なもの味なもの」

楊名時先生のエピソード(30)

縁は異なもの味なもの

 

この夏、長野県の須坂に行った。うちの息子のお嫁さんの実家はここで蕎麦屋をやっている。美味しい十割蕎麦や、鳥の燻製、夕顔などの珍味や地元のお酒に舌鼓を打ち話題は盛り上がった。お店には有名人もけっこう来るようで色紙や写真が置いてあった。健康法の話になった時、私が楊名時太極拳を長い事やっているというと、お父上は膝をポンとたたいて奥の部屋へ消えて入った。にこにこしながら立派な額に入った色紙をもってきた。

な、なんと楊名時先生の直筆の色紙ではないか。柔らかで丸い温かみのある懐かしい字。

以和為貴 同心協力   楊先生がよく黒板に書かれた言葉―

聞くと、この時、楊名時先生にはお付きの男性がふたりいて三人でお店に来たそうだ。お酒が好きそうなので、取って置きのドブロクをサービスで出したら喜ばれて、美味しいと三杯も飲まれたとの事。そして帰り際に「来年もまた来たいけど、もう来られないと思うから色紙があったら」と、お渡しすると「あなたの家の家宝にしなさい」と言われ、にっこり笑われたという。

この蕎麦屋の屋号は“あがれ家”で、家宝に掛けたのだろうか。

色紙の日付は2004年11月2日、その翌年の7月に楊先生はお亡くなりになった。お父上は、来年は来られないという言葉がとても気になったと言っていた。楊先生はわかっていたんだと私は確信すると同時に哀しく涙ぐんでしまった。

でも、でもね。すごい事だなと思うのは遠く離れた場所でも、縁は繋がっているということ。

 有縁千里来相逢 無縁対面不相識  この言葉も黒板によく書かれたー

(縁があれば遠く離れていても逢いに来る。縁がない場合は目の前に居てもお互いに知らない。)

ふと、この言葉が頭に浮かんだ。楊名時先生と須坂で、しかも息子のお嫁さんの実家で巡り会えるとは”縁“とは不思議なもの。

 

20119月    山名暁美




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楊名時先生のエピソード(29) - 「型」と「形」

楊名時先生のエピソード(29)

「型」と「形」

 

最近読んだ本に、プロ野球・楽天イーグルス野村克也前監督の『私が野球から学んだ人生で最も大切な101のこと』(海竜社刊)があります。その本の中に、「型」と「形」について興味深い話がありました。

野球、武術、芸道においてそれぞれ型がありますが、その型の奥にある目に見えない形を見つけ出さなければ、本物になれないという。形は「型」と「ち」が統合されたもの。「ち」は血・乳・霊であり、精神的なパワーを意味している。したがって、形(カタチ)とは外面の型と内面の精神的な力が表現されていなければならないと述べています。

型が形として表現されるには、太極拳では5年や10年ではできません。20年位はかかるように思います。楊名時先生が八段錦と簡化太極拳24式に絞って指導された真の意図は、型から形まで私たちを到達させるためだったように思います。太極拳の40年の稽古を通して、そのことが解ってきました。

 

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(28)

生涯の親しい友

 

72日に行われた「楊名時先生七回忌法要」は、皆様のご協力により大成功でした。楊名時先生も、天国で喜んでおられることでしょう。七回忌法要の申込書に、竹内敦師範は短い文を書き添えており、まだ無名に近かった当時の楊名時先生を懐かしく思い出しました。その竹内敦師範の文を紹介します。

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40年前になりましょうか、八重洲口の教室に楊名時先生をお訪ねし、入門、がきっかけでした。「あなたはまだお若いが、もしこの太極拳があなたに合うようであれば、太極拳はきっと生涯の親しい友になるでしょう」との先生のお言葉通りになっています。誠にありがたいことで、いつも感謝しております。

 

竹内敦




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楊名時先生のエピソード(27)

ほどほどに

 

今年の梅雨明けは全国的に早く、厳しい暑さが続いておりますが、皆様お元気ですか?

今年の夏は“節電”のことも考えなければいけませんので、どのような暑さ対策をとればよいのか迷うところです。

太極拳の稽古に関して言えば、例年よりクーラーの温度設定が高いため、教室の温度は丁度良いように思います。電車も冷え過ぎがなくなり、冷え症の私は助かっています。

さて、楊名時先生は「人間も自然の一員であるため、四季に合わせた稽古が必要であり、そうでないと体に負担をかける」と言われました。

夏は暑さで体力が落ちますので、太極拳の稽古は長時間行なったり、あまり集中しすぎないことや、腰の高さを加減することが、大切です。どんなに良い健康運動でも、やりすぎは禁物です。

特に夏場は「ほどほどか足りないぐらい丁度良い」が楊名時先生の教えです。

 

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(26) - 「陽の気は癒しのオーラ その2」

楊名時先生のエピソード(26)

陽の気は癒しのオーラ その2

 

楊名時先生は、常々次のように言っておられました。「僕は楊だから、陽の気が大好き」と。

太極拳をする者は、にこやかな顔でしていただきたい。心にわだかまりがあったり、悩みがあったり、体の具合が悪いと、表情が曇ります。そういう時は、顔の表情が曇るだけでなく、マイナス(陰)の気が出ていることが多いのです。それらを含め、楊名時先生は、顔の表情をにこやかにして、陰の気を出さないように心がけて欲しいとよくおっしゃっておられました。

体を動かすことで、陰の気を、陽の気に変えることができると思います。楊名時太極拳やっていますと、やり始める前は何かわだかまりがあったとしても、行ったあとは、心身共に爽快になりますので、自然に陰の気が、陽の気に変わることが実感することができるのです。同時にわだかまりも消えていきます。

物事を陰にとらえると、それが自分自身の気となり、雰囲気となって、周りに漂っていくのではないかと思います。楊名時先生は、その人の前に立つと、その人が何を考えているのか分かる、ということを申されたこともあります。私も四十数年、楊名時先生の許で太極拳を行うようになりましたら、見た瞬間、その人が持っているオーラ、気というものが分かるようになりました。私自身、陽の気を出すように心がけてお教室に入ります。

 

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(26) - 「陽の気は癒しのオーラ その1」

楊名時先生のエピソード(26)

陽の気は癒しのオーラ その1

 

この世の全ての物は素粒子の結合から成り立っており、素粒子は常に振動しております。その振動からエネルギーが生まれ、振動数の違いや振動の幅によって、波長が違います。

人の生命エネルギーが体外に放出されたものをオーラと呼び、その人の心のあり様を周りの人達に伝えています。

楊名時先生の平熱は35.8度です。しかし、側にいるととても暖かく、36.5度位に感じます。これはどういうことなのでしょうか。

私流に考えれば、先天的にオーラが強いのではないかと思います。しかも、そのオーラが先生の側にいるだけで人を癒す「暖かい気」なのです。常滑のS師範は、千人も入る大きな会場で楊名時先生が舞台に登場された途端、ビリビリと痺れるような気を感じたそうです。

そのような楊名時先生と、四十数年も同じ教室で稽古を積み、呼吸を肌で感じ、気の交流ができたことは無上の喜びでした。師に一歩でも近づき、師の境地に達したいと願って、日々太極拳の稽古に励んでいます。人から「麻紗先生は楊名時先生の型と精神を、一番受け継いでいますね」といわれると、とても嬉しくなります。

 

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(25) - 「ふんわりと柔らかく」

楊名時先生のエピソード(25)

ふんわりと柔らかく

 

桜花爛漫、ようやく春の到来です。新学期も始まりました。しばらくお休みしていた楊名時先生のエピソードも再開です。

太極拳の型についても理論についても、楊名時先生は、細かい指導をすることはあまりありませんでした。とにかく気持ちよく体を動かすことを優先していました。

健康太極拳を学ぶ人が、第一心がけることは上手く舞うことではなく、いかに心を開放して「気持ちよく舞うか」と。呼吸も自然に行い、体のどこも窮屈にならないようにします。

「太極拳を舞う時はふんわりと柔らかく」と先生がよくおっしゃっていました。私もこの言葉が大好きです。中国の難しい表現をつかわず、あえて感覚的な言葉を選択。太極拳の長年の稽古から体得した要諦を、かみ砕いたやさしい言い方で、ゆったりとした口調で話される楊名時先生は、やはり太極拳の大家でありました。

 

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(24)

歳寒くして松柏を知る

 

街路樹はすっかり葉を落とし、冬の寒さがひしひしと感じられるようになりました。今年も残り少なくなりました。皆様お元気ですか?

楊名時先生はこの時期になると、必ず次の句を黒板に大きく書きます。「歳寒知松柏」と。松はマツのこと、柏はヒノキを指し、松柏は常緑樹の代表です。

落葉樹は春や夏に青々と繁っていても、冬になると凋んだり、裸木になったりしますが、松柏だけは凋まずに青々として色を変えずに凛と立っています。このことは寒い冬にならなければ分かりません。

それと同じように、私たち人間も逆境になった時に初めてその人の真価が分かるのです。順境の時は人が応援しますが、逆境の時は人が離反するのが世の常だからです。

この句は人の道として変節しないことの大切さを説いたもので、楊名時先生が毎年紹介する意図は、太極拳の仲間の結びつきは春夏秋冬変わらぬ松柏のようであって欲しいとの願いなのです。

出典は『論語』の子罕第九、「子曰わく、歳寒くして、然る後に松柏の彫むに後るることを知る也」です。

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(23) - 「太極拳の呼吸は吐き切らない」

楊名時先生のエピソード(23)

太極拳の呼吸は吐き切らない

 

今年の9月初旬、脱サラして故郷の桐生に帰り、天蚕による織物に挑んでいる人を紹介したNHKの番組がありました。「天蚕」という聞きなれない言葉に興味をそそられ、その放送を見ていると、蚕が糸を吐きながら繭を作るシーンが映し出されました。初めて見る蚕の様子に見とれてしまいました。

天蚕は別名「山繭」と言われ、クヌギやナラを食べ、夏ごろに黄緑色の繭を作り、その天然の色の糸で織った着物が薄緑色でとても上品なものでした。

同時期に楊名時太極拳のある書物に、「太極拳の呼吸は息を吐き切ります」と書かれているのを目にし、驚きました。なぜならば、「太極拳の呼吸は、いつも楽に、細く長くゆったりとして、息を詰めたり切ったりしてはいけません」と楊名時先生に指導されていたからです。中国では昔から太極拳の呼吸の要諦として「春蚕吐糸、連綿不断」の言葉があるので、肝に銘ずるようにと教わりました。

呼吸法には色々なやり方があり、吐き切る利点もあるのですが、太極拳は意識を集中させながらバランスをはかる全身運動ですから、あまり呼吸に捉われすぎると窮屈になり、柔らかくゆったりとした動きが乱れてしまいます。


                                 楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(22) - 「紅葉の栞」

楊名時先生のエピソード(22)

紅葉の栞

 

記録的な猛暑が過ぎ、やっと秋らしくなったと思ったら、10月26日はもう冬の到来で札幌は初雪、大阪と関東では木枯らし一号が吹きました。また、29~30日台風の襲来と、先週の日本列島は大荒れでした。

そんな10月26日、長岡に行ってきました。小説「雪国」で有名な上越国境の長い清水トンネルを抜けると、越後湯沢ですが、車窓から眺める谷川岳はすっかり雪化粧をしていました。近くの山々はまだ青く紅葉していません。そのチグハグさが今年の異常気象を表しているようで、薄ら寒さを感じました。

楊名時先生は、旅行が大好きでした。その旅が公的でも私的であっても、博物館や記念館などに入らず、もっぱら野外の景色を眺めたり、気に入った大樹の前に立ち気功を行ったり、散策をしたりして”浩然の気”を養うことが常でした。

この時期、楊名時先生は旅先で拾った紅葉を手帳にはさみ、栞にして東京に持ち帰ります。それが私や教室の皆さんへのプレゼントだったのです。そして、「どこどこの紅葉だよ、きれいだね...」と言って、ニコニコしながら見せてくださる、心配りの厚い楊名時先生でした。

楊名時先生の紅葉の栞を思い出して、長岡のホテルの下を見ると、桜紅葉がチラホラと始まっていました。一枚を拾ってきましたので、皆さんにお届けします。楊名時先生のお心を感じていただきたくて...。

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(21) - 「梅蘭芳の背中の演技」

楊名時先生のエピソード(21)

梅蘭芳の背中の演技

日本と中国が国交回復して今年は38年になりますが、国交回復前は民間の文化交流が盛んで、京劇の代表団も来日されました。楊名時先生は良い演目があると、太極拳の仲間を20~30人連れて、それを観に行きました。5回位は先生と観ています。

京劇と言えば梅蘭芳が有名で、楊名時先生は太極拳の授業中に、何度も梅蘭芳の話をされました。梅蘭芳(1894~1961)は女形の京劇俳優で、祖父母・父母とも有名な京劇俳優と言う梨園の名門で育っています。19565月に来日し、60歳とは思えない艶のある演技で日本のファンを魅了し、歌舞伎の中村歌右衛門と面会し意気投合したことなどは、どこかの記事で読んだことがありましたが、私は一度も梅蘭芳の舞台や映像でも見たことがありません。

楊名時先生は、梅蘭芳は背中の演技が上手な役者だったと語っていました。顔は正面を向いていても、常に背中にも神経を配っていたとのこと。「私たちの太極拳も、人に見える正面だけでなく、背中にも注意を払って演舞しなければいけないよ!」と教えて頂きました。

梅蘭芳の出し物で楊名時先生が一番好きなものは、「貴妃酔酒」です。絶世の美女・楊貴妃が酒に酔って舞う姿は、どんなに美しかったことでしょう。

     
                         楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(20)

深大寺と時雨茶屋

 

6月に入り、木々の青葉が日に日にその色を深めています。調布駅からバスで20分程の武蔵野の面影が残る緑に囲まれた場所に、深大寺があります。深大寺は浅草・浅草寺に次ぐ都内第二の古刹であり、豊かな湧き水の出ることでも知られています。

楊名時先生はこの深大寺が大好きでした。5月の連休と紅葉の頃にはよく家族で出かけました。自宅が総武線の東中野でしたので、30分前後でいける近場だったことも理由の一つです。

深大寺参拝と境内周辺の散策を終えた後、楊名時先生が必ず立ち寄る所が「時雨茶屋」です。ここで温かい蕎麦と野草てんぷらを食べるためです。この注文を変えたことは、一度もありません。

その理由を聞くと、楊名時先生が講師を務めるアジア・アフリカ語学院が近くにあり、生徒を連れて何度も食べに来て、美味しかったからだそうです。野草は地元で採れる物を使ってるとのことで、時雨茶屋の名物になっています。

楊名時先生は大の蕎麦好き。健康のために温かい蕎麦しか食べませんが、それをすすりながら「美味しいね」と破顔一笑する姿が、今でも忘れられません。老舗の時雨茶屋が閉店したことを、最近知りました。楊名時先生も天国で淋しがっていることでしょう。残念ですね!

 

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(19) - 「道着の帯」

楊名時先生のエピソード(19)

道着の帯

 

楊名時先生は「道着は稽古着であると同時に、最高の舞台衣装」とよく言われておりました。能舞台で太極拳を舞われた楊先生の道着姿は、凛とした気高さを感じさせます。白の道着に黒帯が、全身を引き締め安定感を与えます。

楊名時先生の稽古中の帯は、空手の恩師・故中山正敏先生から贈られたものが一番のお気に入り。50年近く締め込まれたその帯は、ほつれて糸状になっており、両端に刺繍された名前の文字は読むことができません。

因みに楊名時先生から贈られた私の帯は、「楊家太極拳師家楊名時」「渋谷麻紗恵存」と刺繍されており、40数年この帯を愛用しております。帯を見れば太極拳の稽古量が、一目瞭然です。

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(18) - 「旅にも道着持参」

楊名時先生のエピソード(18)

旅にも道着持参

 

楊名時先生は道着が大好きでした。楊名時太極拳の正式なユニホームは道着ですが、楊名時先生が特に日本の空手を愛好されたことに由来します。手足の長い楊名時先生は、誰よりも道着の似合う方でした。

楊名時先生は太極拳の指導のかたわら、大学で中国語を教える教育者でもありました。お気に入りのハンティングワールドの大きなカバンの中に、いつも教科書と道着を入れておりました。授業の終わった後、午後か夜に太極拳の稽古があるからです。太極拳の教室が増えるにつれて、埼玉の東松山にある大学から、神奈川の横浜、そして東京の自宅に帰るということが、週の内で2,3回ありました。早朝家を出て帰るのは夜中です。このサイクルは、70歳の定年まで続き、「元気だな~」といつも感心しておりました。

道着はプライベートな旅行にも持ち歩きました。「重いので持って行かなくても」と私が言うと、「旅先で太極拳の稽古をするし、寝間着にもなり便利だよ。何よりも道着はボクの武士の魂・刀だよ!」とニコニコと答えるのでした。おだやかな笑顔の中に、武道人の強い芯を感じました。

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(17) - 「胸に涼風を」

楊名時先生のエピソード(17)

胸に涼風を

 

私たちは自然の中に生きています。特に日本は四季の変化に恵まれています。そんな日本が大好きな楊名時先生は、太極拳の夏の稽古の仕方を、「胸に涼風を」と表現しています。

太極拳の動きの中で涼やかに見せるためは、足の運びを上品にすることが大切ですが、胸に涼風とは目に見えない内面やイメージを言ったものです。

例えばいつもの教室を白樺の林、または湖畔に置き換えそこで太極拳を舞っているとイメージするのです。そうすると不思議なことに、脳が反応して体が涼しく感じるのです。

そして一番大切なのは、心の涼しさ。自我を捨て、拘わらない心で太極拳を舞えば、おのずと内面に涼風が吹きわたります。

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(16) - 「共存共栄」

楊名時先生のエピソード(16)

共存共栄

 

楊名時先生が「養心会」を作りたいと考えたのは、亡くなる5、6年前だと思います。この構想は私だけでなく、何人かの古い仲間にも話されておりました。

組織が大きくなるにつれ、楊名時先生の求めていた太極拳とは少し違って来たのでしょうか。淋しい表情で養心会のことを何度も私に話すようになりました。

ある時、私は「養心会を作ることは、今ある組織の分裂ではないにですか?」と尋ねましたら、即座に「お前は小さい。分裂ではなく発展ではないか!一つの組織で全てができる訳がない。一つが三つになり、三つが五つなる。これは自然の理である。十や二十あっては困るが、五つぐらいの組織があってそれぞれが特徴を生かして、楊名時太極拳を普及させていくのがよい。そうしなければ大きな発展はない。“共に生存し、共に繁栄する”ことが大切なんだよ」と。

楊名時先生はやはり中国人!度量の大きさが違うと感心し、納得したことを今でも強烈におぼえております。

 

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(15) - 「人の心は天地と同じ」

沖縄の踊りの輪に入る楊名時先生


楊名時先生のエピソード(15)

人の心は天地と同じ

 

沖縄に、空手の大家八木明徳という方がおられました。楊名時先生より2年ほど早い2003年に故人となられましたが、生前、楊名時先生は八木明徳先生を大変尊敬し、親交を深められました。空手の道を歩む大先輩としてだけでなく、「麻雀」を好む親しい仲間でもあったようです。両大家の麻雀の腕は、なかなかのものだったと聞いております。

楊名時先生が八木明徳先生から教示された言葉が、「人心同天地 血脈似日月」で、人の心は天地と同じ、血脈は日月に似たりと読みます。楊名時先生はこの言葉が大変気に入り、「太極拳にピッタリだ!」とおっしゃって、稽古の中で何回も紹介されました。

信念を貫く志の高さと、人を許せる天地のような大きな度量を持つこと。これを太極拳の稽古の中で培うことの大切さを力説されておりました。この言葉のように、広い広い心で人を許すことが出来たら、争いが消えみんな幸せになると思うのですが...。

 

楊 麻紗

 八木明徳(沖縄県指定無形文化財「沖縄の空手・古武術」保持者)

楊名時先生のエピソード(15) - 「人の心は天地と同じ」

コバルトブルーの沖縄の海




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楊名時先生のエピソード(14) - 「ありがとう」

楊名時先生のエピソード(14)

ありがとう

 

2008年のNHK調査で、日本人の一番好きな言葉は「ありがとう」でした。「ありがとう」の一言があるかないかで、人の気持ちやその場の雰囲気がずいぶん変わります。中国語の「シェシェ」や韓国語の「カムサ」は感謝の気持ちを表す言葉です。

楊名時先生は「ありがとう」の言葉が大好きでした。家庭生活や仕事はもちろん、タクシーの運転手やトイレの清掃の人に対してもとても丁寧な語調で「ありがとう」を言うので、言われた側が温かい気持ちいっぱいになります。

「ありがとう」の言葉が自然体で出る楊名時先生は、誰からも好かれ、尊敬されました。平成1773日、楊名時先生がこの世を去る時も、「ありがとう」と私に言ってくれました。

小林正観氏は「ありがとう」をたくさん言うと、幸せになれると解いております。楊名時太極拳の終わりの挨拶には必ず、「仲間と共に太極拳が出来たことに心から感謝します」という意味で皆が呼吸を合わせ「シェシェ」を言います。「ありがとう」をどんどん言い合って、幸せになりましょう。

 

楊 麻紗




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楊名時先生のエピソード(13)

八段錦の膝の屈伸

 

 八段錦は中国古来より伝わる健康運動で、流派もたくさんあります。楊名時先生は中学校の時に国術部に入り、馬先生より「八段錦」を太極拳の準備運動として習ったそうです。

 昭和421月、楊名時先生が日本で初めて太極拳の指導をされた武道館でも、馬先生のスタイルを踏襲されました。しかし、馬先生の八段錦そのままでなく、動きをより柔らかくゆっくりとしたものにアレンジしました。そして、「動く禅」としての楊名時太極拳に、心身ともにすんなりと入っていくために、欠くことのできない準備運動として完成させたのです。 

 八段錦「背后七顚百病消」の動きは、太極拳の終わったあと整理運動として行いますが、武道館時代には膝の屈伸はしませんでした。昭和50年頃、新宿の朝日カルチャーセンターで行ったのが最初だったと思います。年配者に膝痛が多いと聞き、予防のために、楊名時先生が新たに膝の屈伸を加えたものです。 

 本来は7回かかとを落とす運動ですが、教室では3回に省略し、3回目に呼吸とともに膝を深く折り曲げるやり方をとっています。

楊麻紗




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楊名時先生のエピソード(12) 太極拳の品格

 

楊名時先生は常々、「楊家の太極拳は清王朝の方々に太極拳を教えたので、何よりも品格を重じた」とおっしゃっておりました。従って、楊名時太極拳も、品格を下げてはいけませんよと。

では、その太極拳の品格は、どこから生まれますか?と尋ねましたら、即座に

「打算をしないこと!」

と答えられました。楊名時太極拳は技の上手下手を云云したり、競い合ったりするのではなく、素直な心でその人の一番楽な状態で体を動かして舞うため、舞う人の人格が表れるのです。

 人に格好よく見せようとか、人を許すことができない人、てらいのある人の太極拳はどこかに力みがあり、癒しの太極拳になりません。全ての世俗を忘れて、空間の中に溶け込むような感じで動くとが大切です。

 「太極拳は人なり」です。太極拳を稽古することは、健康を維持するだけではなく、日々人格を磨く修行でもあるのです。

楊麻紗




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楊名時先生のエピソード(11) - 「見取り稽古」

楊名時先生のエピソード(11)

見取り稽古

 

楊名時先生の指導法は、見取り稽古でした。型や足の動かし方といった型の説明は、一切行いませんでした。まして手取り足取りの個人指導など、一度も見たことも聞いたこともありません。ただひたすら先生の動きを見て、それを真似て覚えるのです。

 40年来の稽古の中で、楊名時先生が強調されたことは、「心の自由」でした。無心で太極拳を舞うことにより、型を超えた“自然との一体感”をつかんで欲しかったのだと思います。

楊麻紗




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楊名時先生のエピソード(10) - 「夏の稽古」

楊名時先生のエピソード(10)

夏の稽古

 

  連日、猛暑の日本列島ですね!主人である楊名時先生が、夏場の稽古についてよく話されたことを、思い出しました。

 「太極拳は陰陽が大切なので、夏の暑いときの稽古は、運動量を少し加減をすること。つまり、腰の高さをあまり低くしないこと。また集中力を高めすぎないこと。言い換えれば、ほどほどの稽古量で行なう」

 「太極拳を涼やかに舞うこと。その涼やかさは、足運びからくる」

楊麻紗




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楊名時先生のエピソード(9) - 「抱一龕道場道場」

楊名時先生のエピソード(9)

抱一龕道場

 

  楊名時先生が昭和49年の冬に、日本武道館を去られてからまもなく、抱一龕(ほういつかん)道場で楊名時先生の太極拳の指導が始まりました。抱一龕道場は故中山正敏先生(元日本空手協会主席師範)の個人の道場で、中山正敏先生が失意の楊名時先生を暖かく迎え入れて下さったものです。楊名時先生は昭和18年に留学生として来日されて、京都大学政治学科に入学されました。卒業後上京され、東京中華学校の校長を勤められるかたわら、日本空手協会で空手を中山正敏先生から指導を受けました。楊名時先生は日本の武道を好みましたが、特に空手は大好きで、中山正敏先生のことをとても尊敬しておりました。その中山先生の道場で太極拳の指導が出来ることを、楊名時先生は非常に感激し、又恩義に感じておりました。楊名時先生は空手七段です。

  昭和62年に中山正敏先生が逝去された後も、道場に通うときは恩師の好物だったメロンを携え、仏壇に供えるのが常でした。その時は、秋子未亡人と中山正敏先生の思い出をしみじみと語り合ったと伺っております。

  メロンを見ると、私は楊名時先生と中山正敏先生との師弟の絆の強さを感じます。

 

楊麻紗




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楊名時先生のエピソード(8) - 「和して同ぜず」

楊名時先生のエピソード(8)

和して同ぜず

 

 楊名時先生は昭和48年の冬に、日本武道館を去られました。日本の武道の殿堂に、他国の、しかも健康法がうたい文句の太極拳を指導する楊名時先生を、快く思わない先生方がおられたからです。しかし、これが去られた直接の原因ではありませんでした。手塩にかけて育ててきた某弟子から、心ない暴言を吐かれたために楊名時先生は武道館を去る決心をされたのです。

 その暴言とは、

 「私たちが学ばなければならないのは、中国政府の制定した太極拳で楊先生の太極拳はそれと違う。本当の太極拳ではない」と。

暴言が稽古の後に吐かれたのならまだしも、皆のいる稽古中にその暴言は吐かれました。その時の楊名時先生の心中を思うと、今でも居たたまれない気持ちになります。

 ところが、楊名時先生はやはり大人です。心ない弟子の暴言に対して、顔色ひとつ変えず「和して同ぜず」という言葉を残し、日本武道館を去られたのでした。

 

    和して同ぜず

  『論語』の子路第十三に出てくる言葉。「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」。

 意味は、徳のある人は主体性を持って人と調和するが、訳もなく同調するようなことはしない。教養がなく、心が正しくない人はその逆である。

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楊名時先生のエピソード(7) - 「三笠宮崇仁殿下」
写真:昭和47年6月 日本武道館(畳の教室)に於いて

楊名時先生のエピソード(7)

三笠宮崇仁殿下

 

   昭和46年頃、日本武道館に入会された三笠宮崇仁殿下との思い出も印象に残るものでした。私は三笠宮様のお茶の接待役を仰せつかりましたが、三笠宮様はとても気さくな方でしたので、私はあまり緊張することはありませんでした。

   教室で、前半の稽古が終わってから楊名時先生のお話を聞かれるとき、三笠宮様はいつも背筋を伸ばし、決して姿勢を崩すことはありませんでした。そして、熱心にメモをとりながら、楊名時先生のお話に頷いておられたお姿が忘れられません。

   スキー、ダンス、乗馬などスポーツ万能の三笠宮様のお体はとてもお柔らかく、太極拳も柔軟で素直な演舞をされていました。昭和47年6月27日、ホテルニユーオータニで開かれた楊名時先生『太極拳』出版記念会に、三笠宮様は妃殿下とご出席下さいました。楊名時先生と私たちは、大変名誉なことと感激したのを覚えております。

警備の問題もあって、三笠宮様は3年位で日本武道館に通えなくなりましたが、楊名時先生とはその後数回会食をされたと聞いております。

   それから約30年の歳月が流れましたが、三笠宮様と楊名時先生とのご縁は切れておりませんでした。平成16年10月9日に行なわれた楊名時先生「傘寿のお祝い会」に快くご出席をご承諾され、日本武道館で楊名時先生が話された当時のメモをご披露し、出席者から感嘆の声が上がりました。そして、傘寿のお祝い会から1年後、誰も予想していなかった悲しい出来事が起こりました。それは、楊名時先生の急逝です。平成17年9月29日、帝国ホテルで行なわれました「楊名時先生お別れ会」に、三笠宮様はご出席下さいまして、楊名時先生と最後のお別れをされました。

 

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楊名時先生のエピソード(6) - 「真夏の日比谷公園」

楊名時先生のエピソード(6

真夏の日比谷公園

 

  昭和48年、日比谷公園での太極拳も忘れられない思い出です。真夏の8月に楊名時先生と、10人ぐらいの仲間で太極拳のデモンストレーションを行ないました。ちょうどお昼時で、公園には沢山の勤め人などが来ており、物珍しそうに私たちの太極拳を見ていました。中には、頭のおかしいグループがこの日盛りに何をやっているのか、と言いたげな目つきで通り過ぎる人もおりました。

 私たちは、そういった周囲の「気」を敏感に受けながらも、悠然と太極拳を演舞しました。あの時の暑さと噴水の白さを、いつまでも忘れることができません。

 先日、弁護士会館に行きました。弁護士会館は、日比谷公園の前にあります。当時のことを思い出しながら、公園の噴水の前に立ちました。噴水は昔と同じように、白い水を空へ噴き上げていました。

 

楊麻紗




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楊名時先生のエピソード(5) - 「テレビ出演」

楊名時先生のエピソード(5)

テレビ出演

 

   残暑お見舞い申し上げます

   今年は全国で記録的な残暑が続いておりますが、皆様如何お過ごしでしょうかお伺い申し上げます。お待たせいたしました。楊名時先生のエピソードの続きを、ご紹介いたします。

 

   昭和46年頃には、楊名時先生の太極拳をマスコミが取り上げるようになりました。中山千夏氏や黒柳徹子氏、久米宏氏らが司会を務めたワイドシヨーにも出演しました。中でも、野末陳平氏が司会するテレビに出演したときのことです。与えられた時間は2分。この短い時間で太極拳の紹介をして欲しい、と言うのがテレビ局の要望でした。

   いろいろな打ち合わせの後、いざ本番!となった時、楊名時先生はゆっくりと「十字手」を行ないました。予備姿勢の十字手だけで2分は過ぎてしまい、肝心の太極拳の型を紹介することはできませんでした。打ち合わせ通りに行かなかったことを、番組終了後に野末陳平氏は苦笑しておりました。

   テレビ局を出るときに、「どうして打ち合わせどおりにやらなかったのですか?」とお尋ねすると、楊先生は泰然として答えられました。

  2分で太極拳を紹介するのは無理だよ。太極拳はゆっくりやる所に意味がある。その特徴を曲げて速くするのはいけないよ」と。噛んで含めるようにおっしゃった楊名時先生のお姿を、今でもはっきりと覚えております。そして、どんな状況下に置かれても太極拳の本質を忘れてはいけないと言う訓えの深さを、改めて感じております。

 

楊麻紗




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楊名時先生のエピソード(4) - 「太極拳?南極圏?」

楊名時先生のエピソード(4)

太極拳?南極圏?

 

  昭和35年頃、楊名時先生が日本武道館で太極拳を指導されておられたときのことです。

「今は太極拳が認められなくても、あと十年もすれば人々が疲れて安らぎや癒しを求めるようになる、必ずなる。それまで焦らずゆっくりと太極拳の種を蒔きましょう。種を蒔かなければ、芽は出ないのですから」と、よくお話をされました。

 楊名時先生は、自ら太極拳の宣伝をすることはありませんでした。どうして宣伝をしないのか、お聞きしました。その時、「自分で売り込むと相手より低くなる。相手が頼みに来るまで待ちましょう」と答えられました。その言葉どおりに、40年頃にはマスコミが太極拳を取り上げるようになりました。楊名時先生の辛抱強さと中国人の誇りを、私は強く感じたものです。

 また、昭和46年に『太極拳』の本が出版されたときのことです。著者である楊名時先生が銀座の大きな本屋に行き、店主に

「タイキョクケンの本ありますか」と尋ねると、

「タイキョクケン?知らないね。南極圏、北極圏なら知っているが」と。その時の楊名時先生の答えが奮っていました。

「南極圏、北極圏よりももっと広い宇宙の涯のことだよ」

店主はその意味が分からず、ポカンとしていたそうです。店主は太極拳の拳と圏とを間違えたのですが、この笑い話は当時いかに太極拳が知られていなっかたかを示すエピソードとして、強く印象に残っています。




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楊名時先生のエピソード(3) 
武蔵よりも、万人の健康

 

 楊名時先生は、中国武術だけではなく、柔道、空手、合気道など日本の武道をとても好みました。特に空手は大好きで、日本空手協会の元主席師範中山正敏先生(故人)のもとで、日本武道の心体を学び、修練を積まれ空手七段を取得されました。

 そして、日本武道の良さと小さいときより習った中国の楊家太極拳を融合させた、楊名時太極拳独自のスタイルを創りました。このスタイルは、40年後の今日でも変わりません。すなわち、稽古の前後のお辞儀と立禅をすること、室内の稽古は裸足であること、道着を着ること、音楽をかけないこと、準備運動として「八段錦」をやること等です。

 太極拳の実技だけでなく、中休みの時の講義を伺うのも楽しみでした。お話の中心は、古今の人生哲学や太極拳の捉え方です。

 「太極拳は武術、哲学、健康法、芸術といった多面体であるが、私は太極拳を «健康法»として捉えたい。何故ならば、人間にとって健康は全ての基本。科学技術が発達し忙しい日本人にこそ、ゆったりとした太極拳が必要なのです」と、語られたのが強く印象に残っています。

 「一人の強い宮本武蔵を育てるよりも、万人の健康作りに太極拳を役立たせたい」とのお言葉通り、技の競い合いをせず、心身の調和を求める健康法としての太極拳を貫きました。ゆったりとした語り口、話の間合のねり方は絶妙で、聞く人の心をホッとさせる説法でした。

 

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楊名時先生のエピソード(2) 
禁酒禁煙

 

 日本武道館での教室は、地下にある柔道場でしたので畳の部屋でした。太極拳の指導者は、楊先生お一人。30名の太極拳について何も知らない初心者を相手に、楊先生は前に立ったり後ろに回ったり、ある時は足元が見えないからと言われて台に登ったりと、孤軍奮闘されたものです。

 最初は木曜日の夜だけでしたが、後に金曜日のクラスが増え、月2回の稽古は8年間続き、この間楊先生は一度も休まず太極拳の指導をされました。太極拳の指導を契機に、お好きだったタバコをきっぱりと止められました。

 しばらく経ってから、楊先生に伺いました。

 「先生、タバコはなかなか止められないと聞きますが、簡単に止められたんですか」

 「吸っている人を見ると吸いたいと思った時もあったけど、健康法を教える指導者が体に悪いタバコを吸っていたんでは示しがつかない。また、タバコは呼吸法によくない。太極拳は呼吸法が大切だからね。だから止めたんだよ」とおっしゃっていました。

 楊名時太極拳の研修、合宿は禁酒禁煙です。太極拳の稽古を続けているうちに、いつの間にかタバコが自然に止められたと言う人が増えてきました。

 

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楊名時先生のエピソード(1) - 「出会い」


名時先生のエピソード(1)
出会い

 

  太極拳の師であり夫であった楊名時先生のエピソードを紹介し、45年に及ぶ太極拳の足跡を辿ってみたいと思います。

 私は太極拳を知る前に、中国語の学生として楊名時先生に出会いました。ちょうど20歳の時です。日中の国交が回復していないこともあってか、中国語を学ぶ人が少なく変わった人だネと友人に思われていたようです。

 当時、池田勇人首相が所得倍増計画を打ち出し、それに向かって日本人が猛烈に働き出した頃でした。そんな時代の1966年(昭和41)の春、「日本武道館で健康法としての太極拳教室が開かれるので、君たち来ないか」と中国語の授業中に誘われ、見学のつもりで武道館に行きました。

 初めて見る太極拳の動き。あまりのスローさに驚いてしまいました。と同時にゆっくりとした太極拳が、はたして日本人の気質に合い定着することが出来るのかなというかすかな心配も起こりました。

 しかし、楊名時先生の春風駘蕩のお人柄、人を惹きつけるカリスマ性、品格のある太極拳の舞いに私の不安は消えたのです。この人物ならば不幸な日中関係を改善する力になるのではないだろうか、という直感がひらめき太極拳の弟子になったのです。私の直感は当たりました。

 

楊麻紗




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